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トーマス・マン、知られざる「もう一つの顔」

闘う文豪とナチス・ドイツ

 サブタイトルに本書の主人公の名がある。作家トーマス・マン(1875~1955)。『魔の山』などで日本の小中高校生にもおなじみだ。

 一般的には、教養小説の作家として知られるが、彼には「もう一つの顔」がある。ナチスに抵抗して国外追放になったが、それでもヒトラー打倒を訴え、20年にわたる亡命生活をつづけた「闘う作家」としての顔だ。没後に公開された日記などをもとに、ドイツ文学の碩学が全容に迫る。

ピンとこない人が多いかも

 出世作『ブッデンブローク家の人々』は1901年、『トーニオ・クレーガー』は03年、『ヴェニスに死す』は12年の発表。いずれも第一次世界大戦前の作品だ。『魔の山』は24年の出版だが、やはり第一次大戦前の時代を舞台にしている。トーマス・マンがナチスに抵抗していたと聞いても、ピンとこない人が多いかもしれない。

 だが、29年にノーベル文学賞受賞を受賞したマンは、時を同じくして台頭してきたナチスに危機感を抱く。新聞や講演で反ナチを訴えた。そして身の安全を考えて33年からスイスで亡命生活に入る。危惧していた通り、36年には、ドイツ国籍を奪われた。事実上の国外追放。38年には米国に移り、亡命者の支援などを続ける。BBC放送を通じて毎月定期的に、ドイツ国民にナチスへの不服従を訴え続けた。

日本と無縁ではなかった

 45年、ドイツは敗れた。だが、マンが戦後すぐにドイツに戻れたわけではなかった。故国では、戦時中に敵国で母国批判を続けた行為に対し、反感も強かったのだという。

 このあたりは、今年初めに日本でも公開された映画「アイヒマンを追え!」が参考になる。戦後の西ドイツでナチ戦犯の追及をしようとしても、摘発する側の政府や検事局の内部に多数のナチ残党がいて、困難を極めた。超大物戦犯アイヒマンの身柄確保は、西ドイツの捜査当局では無理と思ったある検察幹部が、イスラエルの情報機関に潜伏場所を通報したことがきっかけになったというのだ。

 マンがドイツに戻れたのは52年の末。事実上の亡命生活は20年に及んだ。「反ナチ」の日々などを刻んだ膨大な日記は、遺言にしたがって死後20年の75年に公開された。本書は、その日記などをもとに、「闘う文豪」の姿を再現したものだ。

 月刊誌「中央公論」の2017年11月号で、評論家の川本三郎さんが「文章は平易だが、語られる内容は重く、深い」と評している。

 マンと同じく1885年ごろに生まれた日本の有名人を調べると、文学者では、戦争中に戦争協力詩を作り、戦後しばらく蟄居を強いられた高村光太郎、トルストイに傾倒し、理想社会を目指して一時期は「新しき村」づくりに熱を上げた武者小路実篤らがいる。社会運動家の大杉栄はマンと同じ1885年、荒畑寒村は87年の生まれだ。マンを生んだ時代と、日本が必ずしも無縁ではなかったことを知る。

  • 書名 闘う文豪とナチス・ドイツ
  • サブタイトルトーマス・マンの亡命日記
  • 監修・編集・著者名池内紀 著
  • 出版社名中央公論新社
  • 出版年月日2017年8月18日
  • 判型・ページ数 新書判・226ページ
  • ISBN9784121024480

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