『火花』といえば、又吉直樹さんの芥川賞小説。ミリオンセラーになったが、もう一つ、まったく別の『火花』がある。
高山文彦さん(1958~)の『火花』だ。1999年刊。こちらは2000年に大宅ノンフィクション賞、講談社ノンフィクション賞をダブル受賞している。のちの又吉作品ほど世間では話題にはならなかったが、内容は重く濃い。
川端康成や小林秀雄が高く評価
高山版『火花』の主人公は、ハンセン病作家の北条民雄(1914~37)。サブタイトルにも彼の名が付いている。川端康成が高く評価し、励まし続けた作家として知られる。代表作『いのちの初夜』は戦前、第2回文學界賞を受賞し芥川賞候補にもなった。当時気鋭の評論家だった小林秀雄は、「稀有な作品だ。作品というよりむしろ文学そのものの姿を見た」と称賛している。
高山版『火花』は、ベールに包まれていた北条の生涯を、没後60年以上たって、改めて掘り起こしたノンフィクションだ。まず高山さんは、北条が療養生活を送っていた東京・東村山のハンセン病施設、国立療養所多磨全生園を訪れ、約600人の入所者の中でただ一人、生前の北条を身近に知っていた高齢の女性に会う。
北条は原稿をどうやって出版社送っていたのか。意外な方法を聞き出す。当時、園内から外部に公表する文章については、事前に検閲があった。あまりに悲惨な内容は赤字で修正を求められた。そこで北条は二通りの原稿を作っていたのだという。一つは穏当な内容で検閲をパスするもの。いわばダミーだ。もう一つは、本当に掲載してほしいもの。こちらを療養仲間の、定期的に面会に訪れる父親に託し、別ルートで出版社に届くようにしていたという。
北条が亡くなった日、園内の霊安所に川端康成が駆けつけてきた。38歳の川端はすでに作家として有名だったから、入所者たちはびっくりした。北条は、原稿料や印税はすべて川端に差し上げると遺言していた。
遺骨は郷里から父親が引き取りにきた。たまたま、北条と筆跡が似た園内の文学仲間を見つけ、偽の手紙を書いてくれと頼む。東京の某社に勤めていて平穏に暮らしているという内容だ。近所の人や知り合いに、息子は元気だったが、急病で死んだと取り繕うためのものだった。友人は言われるままに創作した。そのニセの手紙と遺骨を抱えて父は郷里に帰った。
北条の死後半年足らずで、早くも上下2巻の『全集』が創元社から出た。川端が、「夭折の天才の像をできるだけ明らかに遺す」ために自ら関係者に呼び掛け、急かした。
没後100年、本名が公開された
ハンセン病は「らい病」と呼ばれ、「不治の病」として長く差別されてきた。遺伝だ、触るとうつる・・・。実際には遺伝ではなく、感染力もきわめて弱い。戦後、特効薬もできて発生は激減、日本ではほぼ絶滅した。
北条の本名や故郷は長く秘匿されていた。ハンセン病者が社会から峻拒され、忌避されてきた時代の反映だ。しかし、それでいいのか、時代は変わったはずだとの思いが高山さんを突き動かす。
北条は、軍人だった父の任地のソウルで生まれた。生後まもなく母が病死し、母の故郷の徳島の祖父母に引き取られる。高等小学校卒業後、文学の志を抱いて上京するが発病、19歳のとき全生園に・・・。高山さんは丹念な取材で正確な出身地も本名も突き止めたが、『火花』の中では詳しくは明かしていない。
本書がきっかけになったのか、徳島出身ということが地元でも知られるようになる。国は過去の隔離政策を反省し、2009年、患者の被害回復を目的にハンセン病問題基本法を施行した。この病への誤解と偏見は次第に薄れてきた。そして生誕百年の14年、関係者の理解が得られたとして、徳島県阿南市の市文化協会が発行した冊子で本名が公開された。県立文学書道館では特別展も開かれた。北条は晴れて「郷土が誇る文学者」として再評価されることになった。
声をあげて泣き出していた
高山さんが『いのちの初夜』をはじめて読んだのは、1978年、まだ法政大学の学生のころだ。学生会館の薄暗い地下で寝泊まりする生活。たまたま手にした一冊に過ぎなかったが、読み進めるうちに、声をあげて泣いている自分に気がついた。そしていつごろからか、北条民雄と川端康成、園の友人らとの魂の交わりを書き残しておかなければという使命感にとり憑かれた。
高山さんはその後ノンフィクションの世界に入り、2度の雑誌ジャーナリズム賞のほか、98年、神戸の「酒鬼薔薇聖事件」をたどった『地獄の季節』で衝撃を与えた。99年に『火花』、さらに中上健次や笹川良一、石牟礼道子などをテーマに多数の作品を刊行している。いずれも骨太の重厚な作品だ。書くたびに、この作品を北条民雄が見たら何を感じるだろう、どう書くだろうということを意識してきたという。
本書のタイトルは、「人生は暗い。だが、たたかう火花が、一瞬黒闇を照らすこともあるのだ」という北条の言葉や、「あとがき」にある「絶望の病を生きた火花のような一生」から取られているのだろう。巻末には北条、川端らに関係する年表のほか、ノンフィクション作品には珍しく克明な人名索引も付いている。著者の熱意と手間のかけ具合がよくわかる。最初の単行本は飛鳥新社から、03年には角川書店から文庫版が出た。12年には七つ森書館の「ノンフィクション・シリーズ"人間"」の一冊としても収録されている。