古代日本ではどのようなことが起きていたのか。 文献や資料がほとんどないからこそ、私たちの興味をかきたて、そして様々な議論や思索をもたらしてくれる。
730ページに及ぶ『邪馬臺国と神武天皇』(幻冬舎刊)は、日本の古代史を巡る考察を経て、「神武天皇」の正体と「邪馬台国」との関係について解き明かしていく一冊だ。
本書の著者である牧尾一彦氏へのインタビュー後編では、邪馬台国と「邪馬台国連合」をはじめ、日本古代史の深部に潜り込んでいく。
(新刊JP編集部)
――天皇祖族による邪馬台国連合への侵略と大和朝廷の成立についての指摘からは、「母系制」と「父系制」の戦いという示唆も汲み取れます。「邪馬台国連合」とはどんな存在だったのか、そしてこの侵略と大和朝廷樹立の意義について牧尾さんはどのように捉えていますか?
牧尾:西暦2世紀末葉に女王卑弥呼を共立した「女王国」が、拙著で「邪馬台国連邦」と呼んだ24か国です。
この「女王国」は、北九州の奴国を南西端として、瀬戸内海に面した諸国から大和の邪馬台国とその周辺諸国に及ぶ西日本一帯を含む地域であろうと思われますが、この地域は、もともと概して母系母権的習俗を持つ古い部族社会が支配的であったと考えています。文化相は概して後進的です。
そして、先進文明を持った父系父権的部族が、この古い母系母権的社会を、2度侵略しています。つまり、この古い土着社会は、2度、先進文明を携えた男王王権に支配されています。初度が帥升(シュイシャン=スサ~スサノヲ命)王統による侵略であり、西暦1世紀後半の侵略戦争を経て西暦2世紀はほぼこの帥升王統によって支配された男王の時代です。
ところが2世紀末葉に旧土着民による独立戦争が生じ、邪馬台国連邦・邪馬台国連合が成立します。「邪馬台国連合」とは、先に述べた「邪馬台国連邦」24か国に、それぞれ独自の王を持つ狗邪韓國・対馬国・一支国・末盧国・伊都国の5か国を併せた29か国です。
「魏志倭人伝」の史料批判を適切に行って、これを正しく読み解けば、邪馬台国は大和にあった国であり、卑弥呼を共立した「女王国」とは邪馬台国を含む24か国(邪馬台国連邦)の総称であることが分かります。
――「邪馬台国」と「女王国」とが指すものはそれぞれ異なるということですね。
牧尾:そうです。「魏志倭人伝」は、「邪馬台国」と「女王国」とを異なる用語として厳密に使い分けています。女王国イコール邪馬台国ではありません。
邪馬台国は女王卑弥呼が都する国であり、女王国=邪馬台国連邦に属する国々は卑弥呼を共通の王とする国々ですが、この他、狗邪韓国・対馬国・一支国・末盧国・伊都国の5か国には皆、王があり、女王国に統属しているというので、拙著では、女王国にこの5か国を併せた29か国を「邪馬台国連合」と呼んでいます。
倭国大乱後、帥升王統は邪馬台国連合の周辺域へ押し込められます。これが女王と素より不和であった「狗奴国」(クヌ=国主の国)です。その狗奴国の中心の一つが出雲国です。出雲国が狗奴国の中心地であったとの認識は重要です。これは「魏志倭人伝」、「後漢書」倭伝の史料批判を正しく行えば分かることです。ただし、狗奴国は、単に出雲国だけではなく、邪馬台国連合の周辺域各地にも広がっています。
ともあれ、これら周辺域へと押し込められた「狗奴国連合」は、後進的な国の多い「邪馬台国連邦」に比べれば、先進的な文明を携えた国です。吉野ヶ里を邪馬台国であろうとする議論がありますが、これは誤りであると考えられます。方角を正しながら「魏志倭人伝」を読み解くことで示される邪馬台国の位置とはかけ離れています。
2度目に土着社会を侵略するのが、この狗奴国と連携した天皇祖族です。3世紀の半ばに魏帝国によって追われ韓半島から南九州に疎開した辰王朝の直裔が孝霊天皇であり、この孝霊天皇から崇神天皇までの4世代が、帥升王統と結託しつつ、3世紀後半の半世紀をかけて女王国をほぼ西から東へ侵略し、女王国の本丸、大和の邪馬台国を滅ぼし、磯城纒向に都を置き大和朝廷を樹立します。3世紀末から4世紀初頭のことです。以後、土着母系社会は、男王王権である天皇王権の被支配民となって時代を下ることとなります。
この父系父権的大和王権は、土着の母系母権的社会を丸抱えにしながら、父系王権を維持するための部民とし、巨大な前方後円墳という墳墓の築造に使役しながらその反抗の芽を摘み続けます。古墳時代とは基底庶民社会の長い停滞をもたらした時代でした。
この中で、皮肉なことに、丸抱えにされた基底庶民社会~母系母権社会もまた丸抱えにされたことによってその命脈を長らえることとなりました。
この母系制と父系制の相克の歴史は、日本古代史を貫く主題の一つです。人類起源史へと眺望を開くためにも、日本古代史は重要な視座を提供するものです。
――牧尾さんが取り組まれている古代史は、想像や推測が入りやすく、とても曖昧な中でいかに正しい場所へと近づいていくかという作業だと思います。古代史研究を進めていく上で、気を付けていることを教えてください。
牧尾:研究手法の大原則として重要なのは、たとえば物理学に典型的ですが、現象を広く、また詳細に俯瞰して、それらを矛盾なく説明できると考えられる仮設を立て、その仮説がそれら現象を矛盾なく説明でき、そしてここが大切ですが、第三者もまた多方面からその仮説を追試でき、矛盾がないと検証できることです。
この検証ができて、ようやくその仮説が真実らしいと認められます。歴史学も科学の一員となるためには同じ道程を歩まなければならないと思っています。仮説を立てて、その仮説で矛盾がないと考えられても、それを他者が追試できるよう、明確に記述しなければなりません。このことを念頭に置いて論じるように気を付けています。
年輪年代法のように、基礎データ部分をブラックボックスの中に置いたままのような手法はいけません。第三者による追試を拒むような手法は科学的ではありません。ですから、拙著では年輪年代法による結論は利用を避けています。
――昨年末「旧草稿」から第二章を中心にまとめた『6~7世紀の日本書紀編年の修正...』が出版されました。さらにこの後も旧草稿から本を出していくことを考えているのでしょうか。
牧尾:はい。今年、2023年中には『古事記の秘める数合わせの謎と古代冠位制度史』をまた幻冬舎から上梓させていただく予定です。旧草稿の主に第4章・第5章から古代冠位制度史に関連する部分のみ抽出した論稿です。
「古事記」の寓意の構造に関して論じた旧草稿が第4章・第5章を中心に、机の上に大量に積み上がっていますので、今後これを十分の一か五分の一ぐらいまで圧縮するか抄録して、1、2冊の書籍を出せればと思っていますが、いつになりますか...。
また、旧草稿の最後の章である第6章は、「古事記」「日本書紀」が虚構した上代史を越えて、人類の起源史へ迫ろうとする章ですが、この第6章は未だ手つかずのままです。拙著『古事記の解析』に倂録しました「人類の起源と愛および恋について」を今日的意匠のもとに書き直したものになる予定です。「ヒトが愛を考案したのではない、愛がヒトを創ったのである」とそこに書きました。
拙著はこの旧草稿の第6章にあたる論稿を書き上げた時点で完結します。かつての在野研究者、高群逸枝が洞察し憧憬した先をみはるかしながら、拙著帯文の「私たちはどう生きるべきなのか」という問題に更に迫ることができる論稿になれば幸いです。
――本書をどのような人に読んでほしいとお考えですか?
牧尾:先日、皇學館大学のI教授からお葉書をいただき、その中に「ご高著は、堅実な研究書であるにもかかわらず、文章も平易で、頁数に比して価格も安価に設定されておりますので、一般の方々にも広く読んでもらえるものと期待しております」とありました。私も同じ期待を抱いています。
また、最後にこの場でお伝えしたいのですが、恥ずかしい不思議なミスプリが拙著にありました。著名な考古学者杉原荘介氏の名を杉原庄介氏、杉浦氏などと誤っています。適宜修正しながらお読みいただければ幸いです。
(了)
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