もうすぐ2019年も終わり、年が明けたら神社に初詣という人は多いだろう。
近年のパワースポットブームもあるが、願掛けなど神社に参拝する機会も少なくない。
しかし、あなたはそこで「自分のため」に祈ってしまってはいないだろうか。
「今年こそ結婚できますように」「大金持ちになりたいです」といった自分のための願いは、実はNGな祈り方とされており、願いは叶わない。
そう語るのが、神職養成機関で取得できる最高階位である「明階」を持つ北川達也先生だ。
著書『祈り方が9割』(コボル刊)は、神社の伝統的な参拝作法とともに願いが叶う祈り方を北川先生が教えてくれる一冊。
なぜ、自分のための祈りがNGなのか? それを本書から解き明かしていこう。
北川先生によれば、神道の視点において、願いは「不浄な願い」と「清浄な願い」の2つに分かれるという。このとき、自分のための願いは「不浄」にあたる。なぜなら神社は本来、「私」ではなく「公」のことを願う場所だったからだ。
一方、「清浄な願い」とは自分以外の「みんな」「公(おおやけ)」のことを祈ること。つまり、「みんなが喜びますように」という祈りだ。神職がご祈祷をするときにも、自分の願いではなく、参拝者のために祈りを捧げている。
神社は神様のために常に「清浄」に保たれている。鳥居の前での会釈、手水、石の敷き詰められた参道。これらは私たち参拝者が本殿の神様の前に出るまでに穢れを落としていく過程だ。その上で、公のことを祈ることで神様は願いを受け取ってくれる。
もう一つ、祈るときに大事なことは愛情を持つということ。無償の愛を持って、公の喜びや幸せを願う。そこに見返りを求めてはいけない。
しかし、「それでは願掛けの意味がないのではないか」と思う人もいるだろう。
利他の心を持つことで、それが最終的に自分に返ってくる祈り方があるという。
「私の結婚式が成功しますように」→「結婚式が成功して、参加する親族や友人たちが喜びますように」
「仕事が上手くいきますように」→「仕事が上手くいって、会社の人たちが喜びますように」
もちろん、このとき「自分のことを優先に」と考えてはいけない。心から誰かに喜んでほしい。誰かに幸せになってほしい。その一心で祈るのだ。
これを北川先生は「祈りの神髄」と呼び、「自分のために」から「みんなのために」という変換がいつもの思考や行動に反映されてくると、家庭や会社、人間関係などがいい方向へと向かうようになるはずだ。
◇
『祈り方が9割』は、前半部分に伝統的な参拝作法が書かれているほか、ご祈祷の作法や『古事記』の日本神話と現代の神社のつながりなどが説明されており、最後まで読むとこの「祈り方」の本質が理解できるようになっている。
大切な人たちの喜ぶ顔を見るのが好きだと思うのは全ての人に共通することだろう。神社に行ったら、その「清浄」な心を持って自分のために願うのではなく、みんなのために祈ってみてほしい。その祈りが明日をより良い方向へと変えてくれるはずだ。
(新刊JP編集部)
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