成功をするために必要なことを説いた本はこの世の中にあっても、実際にそれらを読んで成功できるかは分からない。仮に莫大な富を手にしたとしても、周囲からは批判され、寂しそうに見えるのならば、それを成功と呼ぶかは意見の分かれるところだろう。
とりわけ物心ついたときにはすでに平成不況だった今の30代以下にとってみれば、「お金=成功」は幻想だろう。「頑張れば報われる」という価値観は崩壊して、成功の定義は多様化している。
しかし、それでも成功をおさめるための普遍的な学問が確かに存在する。
「帝王學」とはそのようなものである。
■「帝王學」は「學問中の學問」にして「最高峰である王様の學問」
「帝王學」と聞くと、国の皇帝になるようなリーダーが叩きこまれる学問だと思うだろう。実はその色眼鏡が「帝王學」を遠ざけているという。
『成功者はなぜ帝王學を学ぶのか?』(中野博著、現代書林刊)では、「帝王學」こそ「學問中の學問」とした上で、最高峰である王様の學問と述べる。
では、具体的にどのようなことを学ぶ学問なのか?
まずは「成功するための姿勢」である。
成功するためには何が必要か? リーダーの役割は一体何なのか? もしくはもっと枠を広げて国家とは一体何だろう? そして、5年後にどのようなビジネスが成長していると思うか? そのときにあなたは誰をライバルとしているのか? パソコンやスマホの普及で私たちは何を失ったと思うか?
答えにくいものもある質問だが、これらは実際本書の中で設問として登場しており、書き込みながら本を読み進めていくようになっている。
もちろん答えが用意されているものもあれば、用意されていないものもある。「パソコンやスマホの普及で私たちは何を失ったと思うか?」という設問がそうだ。
若い世代ならば、パソコンやスマホがない生活を知らない人もいるだろう。もし知らない場合は実際に3日ほどパソコンやスマホを使わずに暮らしてみることで、体験を通して答えを出していくのである。
「今が良ければそれでいい」から抜け出し、未来についてじっくり考えることで、少しずつ未来志向の視点を身につけていく。これが「帝王學」の始まりともいえるのだ。
■「帝王學」を通して考えてこそ、本当の幸せをつかむことができる
中野氏が繰り出す問題はこれだけでは終わらない。
現状を分析するための設問、成功者の思考を身につけるための設問、そしてこの世界の歴史と人々の信仰に関する設問と、ページが進むにつれてより考えることが高度になっていく。
例えば、なぜ「景気」は経済用語なのに「景金」ではないのか? という問いでは、かの名経営学者ピーター・F・ドラッカーが来日した際の案内役との会話からその答えを解き明かし、私たち日本人の根底にある「氣(人の気持ち)」の重要性について説明している。
未来のことも、過去のことも、私たち自身のことも、考えなくても生きていける。しかし、それを考え抜かなければ、自分にとっての幸せや成功に気付くことはできないし、成長することもできない。
冒頭の「普遍的な成功」のかたちというのは、その時代のリーダーが思い描いた未来だろう。そう考えれば確かに「帝王學」は選ばれた者のみしか身につけることのできない「學問」だ。
特にこれからの日本を担う若い世代には、時代のリーダーになれるチャンスがたくさんある。本書を読み始めるのに年齢も関係ないが、なるべく若い段階で読むべき一冊だ。
(新刊JP編集部)
『成功者はなぜ帝王學を学ぶのか?』(現代書林刊)