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新しい警察小説『影の中の影』の創作秘話――月村了衛インタビュー(前編)

 出版界の最重要人物にフォーカスする『ベストセラーズインタビュー』!
 第76回となる今回は、9月に発売された最新作『影の中の影』(新潮社/刊)が好評の月村了衛さんが登場してくださいました。
 『コルトM1851残月』で第17回大藪春彦賞、『土漠の花』が第68回日本推理作家協会賞と、今最も注目される小説家といっていい月村さんですが、『影の中の影』はそれらを凌ぐ「最高傑作」という声があがるほど大きな支持を集めています。
 アクションあり、冒険あり、そしてサスペンスとヒューマン・ドラマの要素も併せ持つこの作品がどのように作られていったのか、月村さんに語っていただきました。

■新しい警察小説『影の中の影』の創作秘話
――月村さんの新刊『影の中の影』は、理由あって日本で潜伏生活を送り、アメリカへの亡命を企てるウイグル族の亡命者たちと、彼らを見つけ出して始末しようとする中国が送り込んだ特殊部隊、そして亡命者たちを助けるべく特殊部隊と戦う「カーガー」景村瞬一と日本の暴力団員らの攻防が最大の見どころです。スケールが大きく緊張感あふれるエンターテインメント作品となっていますが、この小説の最初のアイデアはどんなものだったのでしょうか。

月村:「新しいヒーロー像をつくり出そう」というのが出発点でした。出版社からの依頼として、警察小説とか冒険小説を書いてほしいというものが多いので、そうするとやはり魅力的な主人公を、という話になるんです。
じゃあどんな主人公がいいかと考えた結果、「元キャリアの警察官」でいこうということでいったんはまとまりかけたんですよ。詳しく言えば、「公安のテクニックやシステムを作り上げた男」ですね。
だから、必然的に舞台は戦後間もなくの時代になります。現在につながる公安の組織を作り上げたわけですから、主人公は当然ものすごく優秀なのですが、若さゆえの思いあがりや傲慢さもある。そんな人物が何かのきっかけで「追われる立場」になった時どうするだろうか、と考えました。敵は国家権力であり公安ですから様々な仕掛けで追い込んできます。ただ、そのシステムやノウハウを作ったのは主人公自身ですから、返し技もわかっているわけです。
そんなわけで、ふとしたことから追われる立場になった元キャリアの警察官が、公安側が仕掛けた数々のトラップをかいくぐって逆襲するという話を編集者の皆さんと打ち合わせをしながら考えたら、それはおもしろいと乗り気になってくれました。私もすっかりやる気になってですね、家に帰ってプロットを書こうとしたんですよ。そしたら、あれっ?と……。

――どうしたんですか?

月村:実際に取り掛かろうとして、ものすごく難しいことに気がついたんです。主人公が公安の追い込みを切り抜けていく話を書くには、公安のテクニックやノウハウを10個や20個は用意しないといけないでしょう。たくさんの仕掛けをことごとくかわしていくから面白いんですから。でも、とてもじゃないけどそんなに思いつかなかった。
まして、終戦間もない頃とか、昭和三十年代が舞台ですから、たとえば道路一本とっても、この道が当時あったかどうか、というようなことを調べないといけないわけです。当時の地図は探せばあるはずですが、地図があったとしても、そこの街並みだとか建物の感じまで書くのはちょっと難しいだろうと。藤田宜永さんなどはそういった資料や地図を長年集積なさっていて、きちんとお書きになっているのですばらしいなと思いますが、私はそこまで準備がないものですから。

――構想を考え直さないといけなくなってしまった。

月村:そうですね。もう一度新潮社に行きまして、「すいません、やっぱりだめでした」と(笑)。じゃあどうしようかという話になるわけですが、舞台はやはり現代じゃないと商業的に難しいという気はしていました。読者がついてきてくれないだろうと思っていた。
でも、物語にスケール感を出したい思いはありましたし、すごいヒーロー像を新しくつくり出したとして、そのヒーローが背負っているものは昨日今日だけではないはずでしょう。重いものをたくさん背負いこんで今日まで生きてきた歴史があるはずです。そういうことを踏まえて、どんな主人公、どんな構成がありえるかを考えていった時に頭に浮かんだのはトレヴェニアンの『シブミ』でした。邦訳されたのが1979年で、当時かなり話題になった本です。主人公のニコライ・ヘルは西洋人ですが日本育ちで、戦中戦後の日本で孤児として過ごし、数奇な運命を経て日本の軍人に育てられます。その過程で日本の“囲碁”を通して、その真髄である“渋みの境地”に達し、「世界最強の殺し屋」と呼ばれるまでになる。
これ、日本人が聞くと「はあ?」という感じですよね。

――たしかに。「囲碁」と「殺し屋」は結びつきません。
 
月村:要するに「わび・さび」を表現したかったんでしょうが、日本的な「わび・さび」や「禅」の感性を身につけた世界最強の殺し屋、と言われても我々日本人にはピンとこないでしょう。でもそれが欧米の読者には受けたんです。日本でも広く読まれました。
ところで、かつては「最強の殺し屋」と呼ばれたニコライ・ヘルですが、もう引退して隠居しています。そこに、ある少女がやってきて、助けを求める。70年代の小説ですから少女を追っている勢力にはオイルマネーが絡んでいて、背後にはアメリカがいます。ニコライからしたら助ける義理はないんだけど、彼はその少女を助ける。これが冒頭です。
こんな始まり方だと、その後も少女を追う巨大な敵とニコライの戦いが全編にわたって繰り広げられると思うじゃないですか。でも、実際はそうじゃなくて、冒頭の1割が終わると、後の8割はずっと日本の戦中戦後の話で、ニコライがいかにして“渋みの境地”に達したかという話が延々続く、つまり「回想」がずっと続くわけです。そして、ラストの1割で少女を追う敵を倒してパタパタっと決着がつく(笑)。
「回想」が主になってしまっていて妙な造りのように思えますが、冒険小説ってそういうのが読みどころだったりするんですよ。『シブミ』でいえば、異文化である日本で成長していくニコライの姿こそが読みどころなんです。ただ、同じような構成の小説を今私が書いても絶対受け入れられないでしょう。

――8割が回想シーンでは、読者は戸惑うかもしれませんね。

月村:そう、ずっと回想なんです。似たような構成の小説だとデンゼル・ワシントン主演の「マイ・ボディガード」という映画の原作になっているA.J.クィネルの『燃える男』もそうですね。
酒で身を持ち崩した元兵士が人にあっせんされて、ある女の子のボディガードをすることになる。その仕事を通じて彼は立ち直りかけるんですけど、ある陰謀に巻き込まれて女の子が殺されてしまい、再び彼はどん底まで落ちてしまう。その後は普通なら、主人公が絶望から這い上がって、女の子を殺した勢力との戦いがメインのストーリーになると思いますよね?

――違うんですか?

月村:そうはならないんですよ(笑)。最終的に女の子の仇は討つんですけど、それは最後の最後だけで、そこまではシチリア島に行って漁師と一緒に魚を獲ったり、海を眺めたり、畑を耕したりという場面が延々と続く。つまり、メインはどん底に落ちた男が立ち直る過程なんです。
70年代、80年代までは、そういった登場人物の「魂の遍歴」を書いた物語も冒険小説として受け入れられていたんです。内藤陳さんや北上次郎さんが冒険小説論を打ち出しておられた頃は、「冒険小説」っていうのは国際謀略小説もあり、ポリティカルフィクションもありと、広くエンターテインメント小説を包括する概念でした。でも、今は海賊ものだとか「インディ・ジョーンズ」のような物語だけが冒険小説だと思われているところがあります。
そういう状況の中で読者に受け入れてもらえる小説を書いていかないといけないわけですから、『シブミ』や『燃える男』の魂が入っているものを書くとしても、同じような構成にするわけにはいきません。だから、現代を舞台にしつつ、過去がメインにならない程度に主人公の回想を入れるという構成にしました。

――その主人公が「カーガー」こと景村瞬一ですね。彼はある事件をきっかけに世界の闇の部分で生きることを決意した元エリート警察官ですが、強さと優しさを兼ね備えていて魅力的でした。

月村:ありがとうございます。先ほどの『シブミ』ではないですが、現在にいたるまで彼がどんなものを見て、どんなことを考えてきたのかということが大事なので、彼の過去の描写は丹念に書く必要がありました。今でも、「まだ足りないんじゃないか」と思っているくらいです。そうやって彼の地獄巡りのような場面を特に気合いを入れて書いたら、彼がどういう境地に達しているのかということを私自身が書きながら発見することもありましたし、読者の方にも共感してもらえたようなので、結果としては良かったかなと思っています。

中編 個人の中の「悪」を書く! エンタメ小説の新しいステージ

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