日本に現存する最古の書物である『古事記』は、歴史書と思われがちですが、じつは物語のスタイルで書かれています。少し遅れて著わされた編年法によるノンフィクション的な『日本書紀』と違って、神々や古代の天皇たちが天地縦横に繰り広げる迫力あるエピソードが前面に出た、いわば古代のファンタジーです。また、『古事記』の内容を語り部として記憶し口承したという稗田阿礼(ひえだのあれ)は男なのか女なのか、死後の世界である「黄泉の国」と「根の国」はどうちがうのか、八俣の大蛇(やまたのおろち)を退治したスサノヲとは何者なのか、あるいは本年、60年ぶりに本殿遷座祭が行なわれた出雲大社、20年ぶりに式年遷宮を斎行する伊勢神宮とはそもそも何なのか、といったロマンにみちた多くの謎を含んでいます。
『古事記』はこれまで何冊もの現代語訳が出ていますが、切り口を変えて原典にない補いをしたり、意訳が過ぎるものもあり、原典の表現をいかに忠実に、かつ読者にわかりやすく訳出するかが、いちばんの課題とされています。今回刊行された『やさしく語る「古事記」』(柴田利雄著/ベスト新書)はその課題に挑み、原典に忠実でありながら、わかりやすく、随所に解説もまじえて、古代のファンタジーを現代にまさによみがえらせた新訳出の『古事記』になっています。
■『古事記』上巻は読みどころが盛りだくさん
『古事記』は上・中・下巻で構成されています。上巻は、国土の成立から神武天皇が登場する前までの、いわば「神々の世界」を描いています。中巻は、神武天皇から応神天皇までの、神と人間が混在した世界が舞台です。そして下巻は、仁徳天皇から推古天皇に至る、人間としての支配者の物語を描いています。
上巻の読みどころはまず、イザナギが国土生みと神生みを行なったパートナーであるイザナミが亡くなったあと、黄泉の国に訪ねていく話です。イザナギが黄泉の国へ行ってイザナミに、「まだ国づくりは終えていないので戻ってきてほしい」と頼みます。するとイザナミは「では黄泉の国の神と相談してきます」と奥へ引っ込んでしまいます。そこでイザナギがこっそり奥へ入ってみると、体のあちこちに雷神を生じさせ、ウジがたかったおぞましい姿のイザナミを見てしまいます。恐ろしくなってイザナギは逃げ出しますが、イザナミは「わたしに恥をかかせた」と醜女の軍団や自分の体から生まれた雷神に1500人の軍勢を付けて追わせます。イザナギはさまざまな手を打って逃れますが……。
上巻にはほかにも、スサノヲが高天原で騒動を起こし、姉のアマテラスが天の石屋に隠れてしまったので、女の神がだんだん裸に近い格好になって踊って誘い出す話。地上に追放されてしまったスサノヲによる八俣の大蛇退治。オホクニヌシの国づくりと、アマテラスの子孫への国譲り、そして天孫降臨に至るまでの神々たちの失敗や活躍などが、盛りだくさんです。
■中巻は「神武東征」「ヤマトタケル」など、戦いの連続
中巻は、神武天皇が九州を出て大和を征服する話や、ヤマトタケルが熊曾(くまそ)の征討の直後、天皇に東国の征討も命じられ、ついには伊吹山の神に祟られて命を失い、白鳥となって天に昇っていく話など、戦いが中心の物語になっています。
なかでも垂仁天皇時代のサホビメの伝承も、はずせない読みどころです。皇后のサホビメはある日、兄のサホビコに、「夫である天皇と兄であるわたしと、どちらを愛しくおもっているか」と尋ねられます。「兄だ」と答えると、それなら天皇を殺して自分たちが天下を治めようと、小さな刀を預けられます。サホビメは寝ている天皇を刺そうと刀を何度も振り上げますが、遂げられず、夫にすべてを打ち明けてしまいます。天皇はサホビコの討伐に向かいますが、彼女はこっそり宮殿を抜けだして兄の砦に入り、そこで天皇の子どもを生みます。天皇は子どもだけでなく、愛する妻を取り戻そうとしますが……。夫と兄の板挟みとなった女性の悲しい物語です。
■下巻には、日本で記録の残る最初の心中事件が描かれる
下巻は、国見をした仁徳天皇が、国中の家からかまどの煙が立っていないことに気づき、3年間、税を免除して、自分は雨漏りも修理できない宮殿に住んだことで「聖の帝」と称されたという話に始まり、イハノヒメという嫉妬深い皇后や、何人もの女性たちとの関わりが、歌を交えて語られていきます。そうした華やかな男女の恋物語の最後の最後に、痛切な心中事件がつづられています。これは允恭天皇の皇太子だったカルノミコが、天皇が死んだ直後、同母妹と近親相姦の恋愛関係にあることが発覚し、愛媛の道後温泉に流されます。そこに妹が追いかけてきて、共にみずから死を選んだという物語です。心中を前に、タブーを犯した者として追いつめられながらも、その純粋な愛のほかは何もいらないと心を強くして、いさぎよく死を決意した歌を残します。すばらしい絶唱ですが、胸をうつ悲歌となっています。
『古事記』には日本人の魂の原点というべきものが、随所に記されています。
「むずかしい」「堅苦しい」といった先入観を捨てれば、この書物がいかに魅力に満ちたものかがわかるはず。初めての人も、学び直しの人も、ぜひ手にとって、古代の世界を堪能してほしい一冊です。
(新刊JP編集部)
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