『砂の女』『箱男』などの作品で知られる作家、安部公房氏の未発表作品『天使』が話題となっている。この作品は同氏のデビュー前に執筆されたもので、これまで発見されたものの中で3番目に古いという。
『天使』を掲載した「新潮」12月号は発売日から各地で売り切れが続出、同誌としては約6年ぶりに増刷が決まり、未だ衰えぬ安部作品の人気ぶりがうかがえる。
日本のみならず、海外でも高い評価を受ける安部作品だが、その生みの親である安倍公房とはどのような人物だったのだろうか。
『安部公房伝』(新潮社/刊)は、安部氏の一人娘・ねりさんによる同氏の伝記。そこには生い立ちからデビューまで、そして作家となってからの生活や人間関係までが、関係者への膨大な量のインタビューをもとにつづられている。
■ドナルド・キーン「西洋人が考えたこともないような先駆的なものを目指していた」
晩年は文壇付き合いをほとんどしなかった安部氏だが、最後まで交流を持ち続けた人もいる。その一人が文学者のドナルド・キーン氏だ。
同氏は、当時の日本の作家がヨーロッパ人から学ぼうとしていたのに対し、安部氏は西洋人がまだ考えたこともないような先駆的なこと、未来の西洋人が真似をするようなことをやろうとしていたという。
また、キーン氏は安部氏が日本人作家として初めてワープロで原稿を書いたことにも触れている。手書きで原稿を書いていた頃の安部氏は、途中で間違えたら、それを丸めて投げていたそう。その原稿は妻の真知さんが“やわらかく丸めたもの”と“固く丸めたもの”とに分けて、まだ捨てずに取っておくべきものを選別していたという。
修正がたやすく、構成の入れ替えなども簡単だということで、ワープロは幾度も書き直しを重ねる(代表作『砂の女』は原稿用紙を積み上げると1mにもなったという)安部氏の執筆スタイルに合っていたのではないかとキーン氏は言う。
■大江健三郎「よく分かんないところのある人だった」
作家の大江健三郎氏も、一時期の断絶があったものの、長く安部氏と交流を持っていた。大江氏は「ほんとうに現代作家として外国の知識人に読まれた作家は、安部さんが最初だった」といい、安部作品が海外で受け入れられていることには、それ以前に“日本的な作家”として谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫らが海外で取り上げられたこととは異なった意味合いがあるとしている。
安部氏の人柄については「よく分かんないところのある人だった」といい、自分を含めた多くの人が安部氏自身のことをよくわからないまま付き合っていたという意味で、「非常に威厳のある孤立」をしていた人物だと評している。
本書には、安部氏に関するテキストの他にも幼少時からの写真や自筆のメモ書きなど、貴重な資料が掲載されている。目を通しておけば、今回発見された『天使』やその他の作品をより深く読み解けるはずだ。
(新刊JP編集部)
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