読むべき本、見逃していない?

「富士山が一夜で出来た様な不思議な富豪」の評伝

  • 書名 赤星鉄馬 消えた富豪
  • 監修・編集・著者名与那原恵 著
  • 出版社名中央公論新社
  • 出版年月日2019年11月10日
  • 定価本体2500円+税
  • 判型・ページ数四六判・413ページ
  • ISBN9784120052446

 「赤星鉄馬」という名前を聞いたことがあるだろうか? 評者はたまたまブラックバスを日本に移入した人物として聞いたことはあったが、その来歴は知らなかった。『赤星鉄馬 消えた富豪』(中央公論新社)というタイトルに興味を持ち読んだら、実に興味深い人物であり、華麗な人脈に圧倒される思いで読み終えた。近来まれな評伝の傑作である。

何も書き残さず消えた富豪

 本の帯に赤星鉄馬を短く表した文章が載っているので、引用しよう。

 「武器商人の父の遺産で日本初の学術財団『啓明会』を設立し、柳田國男らの研究を助成。釣りをこよなく愛し、芦ノ湖にアメリカからブラックバスを移入。弟らと日本ゴルフの草創期を牽引する一方、朝鮮半島では広大な牧場を経営。吉田茂、樺山愛輔、岩崎小弥太らと親交を結ぶも、何も書き残さず、静かに表舞台から消えていった――」

 著者はノンフィクション作家の与那原恵さん。『首里城への坂道――鎌倉芳太郎と近代沖縄の群像』で第2回河合隼雄学芸賞、第14回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞を受賞。他に『美麗島まで』『まれびとたちの沖縄』などの著書がある。

 与那原さんが赤星鉄馬に興味を持ったのは、別の人物の評伝を執筆中に啓明会への鉄馬のかかわりを知ったからだ。大正7年(1918)に創設された当時は国内の全研究助成費の5分の1を占めるほどの存在で、鉄馬個人が100万円(現在の貨幣価値にして20億円)を提供して設立された。財団に「赤星」の名を冠することもなく、赤星家関係者もまったくかかわらなかった潔さが謎だった。そこから取材が始まった。

武器商人で財をなした父

 鉄馬は明治15年(1882)、東京・神田で父赤星弥之助の長男として生まれた。母の静は海軍大臣や台湾総督、内務大臣を歴任した薩摩閥の樺山資紀の姪で、弥之助と鉄馬にも大きな影響を与えた。

 弥之助も薩摩出身。第1章、第2章は武器商人となった父の足跡を追っている。明治20年(1887)、海軍次官樺山資紀の「欧米各国海軍ノ状況視察」に同行、ロンドンで武器購入にかかわる交渉に携わり、巨利を得たとされる。本書では弥之助がワシントンの米公使館付駐在武官だった斎藤実宛ての書簡を紹介し、個人の立場で、武器メーカー「アームストロング社」の代理人のような立場を得ることに成功したようである、と書いている。

 弥之助の新しい邸宅は現在、東京・港区にある国際文化会館敷地となっている鳥居坂の約4000坪の敷地にあり、もとは井上馨邸だった。八窓庵という茶室があり、弥之助は「道具界の鰐魚(がくぎょ)」と呼ばれるほど茶道具や美術品の豪快な買いっぷりで話題になっていた。

アメリカに2回の留学

 武器ビジネスのあと、興信録によると、職業は「金貸し」となっているが、実態はわからない、としている。ともあれ、こうした財力をバックに鉄馬はアメリカ・ニュージャージー州にある全寮制の「ローレンスビル・スクール」に入る。休暇にはカナダの森林湖沼地帯に遠征し、はじめてブラックバスに出会ったことを自著『ブラックバス』に書いている。

 23歳になる直前、弥之助が50歳で急逝した。土地資産は鉄馬が相続した。明治43年の「大日本百万長者一覧」によれば、20代の鉄馬の資産は300万円で同額には三井、浅野、森村ら財閥の関係者が名を連ねている。

 相続などの手続きを終えた鉄馬はふたたびアメリカに渡り、ペンシルバニア大学のビジネススクール・ウォートン校に入る。同時期にペンシルバニア大学で研究生活を送っていた野口英世の書簡に「友人」として鉄馬の名前もあり、親交があった可能性も高いという。

 卒業し帰国、兵役義務を終えた鉄馬は結婚、妻の文とともに世界一周旅行に旅立つ。優雅な船旅の描写にはため息が出る。こうした若き資産家への世間の風当たりは強く、「富士山が一夜で出来た様な不思議な富豪」と新聞が揶揄したことを紹介している。

「シーメンス事件の赤星」

 だが、本当に指弾されるのは大正3年(1914)に起きた「シーメンス事件」の際だった。薩摩閥と日本海軍高官との癒着が問題になった贈賄事件で、鉄馬はまったく関与していない。しかしすでに他界していた弥之助と海軍の関係が取り沙汰され、「シーメンス事件の赤星」の印象を世間に残した。

 鉄馬は弥之助が残した茶道具、美術品を大正6年(1917)に売却する。510万円(現在の貨幣価値にして110億4000万円)という膨大な金額だ。与那原さんは別に鉄馬が金に困って処分した訳ではなく、むしろ財産は増えていたことを明かしている。朝鮮につくった成歓牧場や啓明財団の資金調達となったとみている。

釣りやゴルフの趣味人

 本書では、もちろん実業家としての側面にもふれているが、紳士社交クラブ「東京倶楽部」や日本人による初のゴルフクラブ「東京ゴルフ倶楽部」、さらに東京倶楽部の釣り好きがつくった奥日光の「丸沼鱒釣会」とその後進である「東京アングリング・エンド・カンツリー俱楽部」など、社交や趣味についての記述が圧倒的に多い。

 篤志家や趣味人としての顔を持った鉄馬は昭和26年(1951)11月8日、神奈川県大磯の自宅で亡くなるが、新聞の訃報欄は短く、肩書も元火災保険会社監査役となっていた。

 戦後、朝鮮の牧場は韓国の国有地となり、国立畜産試験場となった。朝鮮様式で建てた邸宅は初代大統領・李承晩の別荘となったが滞在することはなかったという。また財産税により赤星家の財産は、ほとんど召し上げられた。だが、孫の一人は与那原さんに「資産運用よりも、個々人が楽しく暮らすのを優先させる。それが赤星の家風といえば、家風ですからね」と語ったことをむすびに書いている。

 鉄馬は釣りにかんすること以外は一切、書くことも取材に応じることもなかったという。資産を少しずつ失うことが彼の事業で、そうして自分の姿を消していくことを意識的に選んだのではないかというのが与那原さんの見立てだ。

 ほとんど自分を語らなかった富豪の足跡をたどるのは容易な取材ではなかったと思われる。巻末の参考文献は20ページにわたる。薩摩や鹿児島に関心のある人にとっても興味深い本だろう。歴史に名を残したエリートとその陰で財を成し消えて行った人々の結びつきが、赤星家という一家を通して詳しく描かれている。亡くなった随筆家の白洲正子さんは樺山資紀の孫だから鉄馬とも繋がっている。

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