第二次大戦終戦直後に北海道の留萌沖で、樺太からの引揚げ船3隻がソ連潜水艦の攻撃を受けて約1700人の邦人が犠牲になった「三船殉難事件」。なかでも日本国内最後の戦争犠牲者(約660人)を出した泰東丸の名前は知られている。政府はいまだに「国籍不明の潜水艦」による攻撃を受けたという立場を変えていないが、地元関係者と北海道の報道機関によって真相究明の努力がなされてきた。
本書『海わたる聲』(柏艪舎)は、長年この事件を取材し、ドキュメンタリー番組を制作した元札幌テレビ・ディレクターの中尾則幸さんが、「ドキュメンタリーノベル」という形で書いた証言の記録だ。
泰東丸など三船が攻撃されたのは、1945年8月22日の朝。終戦から1週間後のことであり、だれがなんのために日本の引揚げ船を攻撃したのかは長い間、わからなかった。当初からソ連の関与がささやかれたが確証はなく、シベリア抑留者の帰還問題を抱えた日本政府は「国籍不明の潜水艦」という立場をとってきた。
本書は北海道のテレビ局の通信員、鶴川康夫が昭和50年(1975年)、泰東丸ほかの犠牲者6人の遺骨が留萌近くの共同墓地から見つかったという特ダネをスクープした、という書き出しで始まるフィクション。生き残った遺族や乗組員の証言をつないで小説は進行する。小説仕立てにしてあるが、証言部分はほとんど中尾さんが取材した当時の録音テープをもとにしている。
小説は戦後70年の平成時代に飛び、70代になった鶴川が留萌の高校生DJに協力、彼らが地域FM局で「三船殉難事件」について特別番組を放送するという展開に。歳月の経過で泰東丸の探索を進める会は解散、事件の風化をどう防ぐかという著者の切実な思いがにじみ出ている。エンディングでは行方不明者で名前がわかった55人が読み上げられる。10歳に満たない子供と若い母親の名前が多かった。
末尾に著者による長い解説がある。樺太引揚三船遭難遺族会の永谷保彦会長の調査によって、平成5年(1993年)小笠原丸は旧ソ連の潜水艦L-12号で、第二新興丸と泰東丸はL-19号によって攻撃されたことがわかった。旧ソ連国防省戦史研究所の資料が裏付けとなった。さらに同研究所の資料から、ソ連首相のスターリンが北海道の北半分を占領するため、事件翌日の8月23日に留萌上陸の作戦計画を進めていたことも明らかになったという。
アメリカ大統領トルーマンから占領計画は拒否され、8月22日に作戦中止命令は出ていたが、中尾さんはなぜ潜水艦が無差別攻撃をしたのか、中止命令が果たして潜水艦に届いていたのか、疑問は残ったままだと書いている。
北方領土の返還を優先する政府は、ソ連時代もロシアになった今も相手を気遣ってか、「国籍不明の潜水艦」と事件をうやむやにしたままだ。
中尾さんは札幌テレビ放送を退職後、参議院議員を1期務め、参議院沖縄・北方問題特別委員会委員長となった。旧ソ連に対する怒りと事件を見て見ぬふりをしてきた日本政府に対する憤り、そして事件のことを長く忘れていた自責の念から本書を書いた、とあとがきに記している。
二島返還、平和条約締結に奔走する安倍政権にとっては、ふれたくない事件だろう。元横綱大鵬の納谷幸喜さんは、沈められた小笠原丸に乗っていたが、途中の稚内で下船したため命拾いした887人の一人だった。
日ロ間の平和条約を締結するならば、「三船殉難事件」の真相を解明し、旧ソ連の責任を追及する必要もあるのではないだろうか。
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