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『広辞苑』の元になった活字は空襲でおしゃかに、編集者の機転で生き延びた!

本屋風情

 本書『本屋風情』は、1974年に平凡社から刊行され、第1回日本ノンフィクション賞を受賞した名作である。1983年に中公文庫に入り、このたび株式会社KADOKAWAから復刊された。タイトルは知っていたが初めて読み、南方熊楠、柳田国男ら近代日本を代表する碩学の姿が赤裸々に綴られていることに驚き、著者岡茂雄への畏敬の念を深くした。

 岡茂雄(1894-1989)は長野県松本市生まれの編集者・書店主。軍人を経て中年から出版にかかわった。タイトルの「本屋風情」とは、渋沢敬三邸での会食に岡がいたことに柳田国男が立腹し、後日「なぜ本屋風情を同席させた」と言ったエピソードから取られた。学者や文人の家に裏木戸から出入りする編集者という仕事に矜持を持っていた岡にふさわしいタイトルだ。

 博物学者の南方熊楠には、大正15年に初めて面会した。まだ和歌山県田辺まで鉄道は開通しておらず、和歌山からは汽船に乗った。初対面にもかかわらず熊楠翁は6時間余りも滔々と研究について語ったという。全集出版を承諾してもらったが、岡は熊楠の随筆集を2冊出し、その後出版から離れた。全集は1970年代に平凡社によって実現した。

 「本屋風情」と呼んだ柳田国男についても触れている。昭和2年の11月下旬、柳田に呼ばれ、翌年1月までに本を出したいと相談された。名随筆として今も名高い『雪国の春』である。結局原稿を渡されたのは1月半ばで、昼夜兼行で駈けずり回り、2月初めに見本3冊が出来た。届けると、76ページのノンブルが左右両ページに付いていると激怒された。一部を刷り換えことなきを得たが、苦い思い出になった。

 国語辞典の代名詞となっている『広辞苑』にも岡はかかわっている。昭和5年に言語学者の新村出を訪ね、中高生または家庭向きの国語辞典の執筆を依頼した。興味がないと断わられたが、教え子が協力してくれるならとスタートしたのが『辞苑』の編纂だった。百科方式としたので原稿カードが膨大になり、小さな出版社の手に負えるものではないことが分かった。岩波書店に持ち込んだが断られ、博文館に委譲し、同社から昭和10年に刊行された。その後『辞苑』の改訂作業にも岡はかかわり、新村の次男猛も執筆に参加した。しかし、戦争が始まり出版の見通しは消えた。2、3000ページ分の活字銅板も空襲で使えないものになっていた。ここで岡の機転が功を奏した。万一にと版下となるべき清刷りを5通ずつ刷ってもらい、それぞれ保管していたのだ。戦後、博文館と岩波書店との訴訟を経て、改訂版は『広辞苑』として刊行されたが、そんな秘話があったのだ。

 岡は民俗・民俗学や考古学の書店「岡書院」のほか、山岳書専門の「梓書房」を経営した。山岳誌「山」を創刊、同じ長野県人の岩波書店・岩波茂雄にも影響を受けたと書いている。「『辞苑』時代の長い苦行の軌跡が脳裏に明滅し、時に淡い郷愁のようなものを覚えるのである」と書き記すのみだが、岡がいなければ『広辞苑』はなかった。もっと知られていい出版人だと思う。今回の復刊は意義深い。  

  • 書名 本屋風情
  • 監修・編集・著者名岡茂雄 著
  • 出版社名株式会社KADOKAWA
  • 出版年月日2018年10月25日
  • 定価本体1080円+税
  • 判型・ページ数文庫判・294ページ
  • ISBN9784044004224
 

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