毎年8月15日の終戦記念日が近づくと、焼土と化した東京の光景が、ニュースやドキュメンタリー番組で映し出され、「またあの時期が来たのか」と感慨をもつ人も少なくないだろう。「焼跡」は日本の敗戦と戦後のシンボルとして、人々の心象風景となっている。また「焼跡」と対になるように「闇市」がドラマなどで映像化されることも多い。
本書『〈焼跡〉の戦後空間論』(青弓社)は、「民衆のエネルギーの発露」とか「解放区」という正のイメージで語られることが多い「闇市」について、映画や小説の検証から、その意味を再検討した本である。
著者は逆井聡人(さかさい・あきと)・東京外国語大学特任講師。本書は、東大大学院総合文化研究科に提出した博士論文に加筆・修正した学術書で、生硬なところもあるが、多くの映画や小説を素材に論じているので、わかりやすい。
闇市は本当に「戦後日本」復興のエネルギー源だったのか? NHKの朝の連続ドラマでもヒロインが戦後、闇市で苦闘しながらも成功してゆくというストーリーはおなじみだが、そういう闇市の認識はどうなんだろうか。著者は1970年代後半から80年代に流行した都市論の影響について考える。
その起源は、フランス構造主義のロラン・バルトが『表徴の帝国』で書いた東京論であり、さらに山口昌男の中心-周縁理論がその後の日本の空間論を規定したと指摘する。こうした都市論の影響を受けて、闇市は祝祭的な空間として語られ、描かれてきたという。作家野坂昭如の「抵抗の拠点」という考え方も同様だ。
田村泰次郎の『肉体の門』、石川淳『焼跡のイエス』などの小説、黒澤明『野良犬』、小津安二郎『長屋紳士録』などの映画についての分析がていねいだ。そして、戦後日本という枠組みから抜け落ちた在日外国人のありようについて論を進める。
闇市は「第三国人」(朝鮮人、台湾人を指す)に支配されていたというデマゴギーを史料に基づいて検討(実際は8割が日本人)、「米ソの対立構図が確定的になるにつれて、GHQもこの流れを利用するようになる。日本を再構築し、西側諸国のなかに編入するために、ノイズになりかねない朝鮮人を外縁へと押しやるようになるのだ」と書いている。
第8、9章は在日朝鮮人文学の嚆矢とされる金達寿(キム・ダルス)の作品を取り上げ、生活のための闘争の場として闇市を意味づけている。
本書は「おわりに」で在日朝鮮人詩人、金時鐘『猪飼野詩集』(岩波現代文庫)の冒頭の詩「見えない町」の次の一節を引用している。
なくても ある町。/そのままのままでなくなってる町。/電車はなるたけ 遠くを走り/火葬場だけは すぐそこに/しつらえてある町。/みんなが知っていて 地図になく/地図にないから/日本でなく/日本でないから/消えててもよく/どうでもいいから/気ままなものよ。
金時鐘氏は著書の中で韓国から密航し、日本に渡ってきたことを明かしている。
本欄では、同様の経歴をもつ父の生涯を娘の視点から描いた小説『海を抱いて月に眠る』(深沢潮、文藝春秋)を紹介した。冷戦期東アジア、旧植民地が抱える問題が、焼跡と闇市にあったことを忘れることはできない。
本書は「戦後日本」という枠組みから「冷戦期日本」という歴史認識への転換を求めている。朝鮮半島情勢が動いているいま、「戦後」ということばがいつまで有効性をもつのかと問いかけている。
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