芸能界の生き字引といえば、今やこの人以外にはいない。ゴッドマザーといってもいいかもしれない。芸歴80余年。中村メイコさんが自伝的回顧録『もう言っとかないと』(集英社インターナショナル)を出版した。聞き手は機関銃トークの古舘伊知郎さん。テープおこしは大変だったかもしれない。
芸能界で「ゴッド」というと、和田アキ子さんや黒柳徹子さんをイメージするが、本物のゴッドはたぶん中村メイコさんだろう。1934年生まれ。年齢では黒柳さんより1つ年下だが、わずか2歳8カ月で映画デビュー。その後もラジオやテレビで大活躍し、一世を風靡した。
何しろ、戦前の子役時代にすでに兵隊さんの慰問で特攻隊の基地やサイパン、上海まで行っている。後に世界の巨匠になった黒沢明監督におんぶしてもらい、仕事の合間に漢字は徳川夢声、英語の発音やアクセントは古川ロッパに教わったという。3歳にして菊池寛と二人っきりでディナー。4、5歳のころにエノケン(榎本健一)に「おじちゃまのなさること、すっごくおもしろいんだけど、どうしたら人を笑わせることができるんですか?」と聞いたというから、さすがにただの子役ではない。
役柄に合わせて声を変える「七色の声」で注目され、テレビ初出演は昭和15年。まだ実験放送だった時代だ。本放送開始翌年の昭和29年から早くも「メイコのごめんあそばせ」と言うレギュラーのトーク番組を持つ。父は作家・劇作家。母も築地小劇場出身の舞台女優。生まれながらに幅広い芸能文化人脈の中ではぐくまれていた。
紅白歌合戦は1959年から61年まで3年連続で紅組司会を務めた。本書では多数の有名人との交遊録が出てくるが、圧巻は美空ひばりさんだ。中村さんの自宅によく泊まりに来た。寝室では夫の神津善行さん、中村さん、ひばりさんが並んで寝ていた。中村さんが真ん中で寝ようとすると、ひばりさんが、「真ん中は私」と言い張る。「ひばりは常にセンターです」と譲らなかったそうだ。こんな話を明かせるのも中村さんだけだろう。ほかにも、いくつかひばりさんの言葉が記されている。
「メイコには、飲みすぎると止める人がいる。私はママが死んでから、止めてくれる人がいなくなっちゃった」
「蒲団をかぶって、『リンゴ追分』をそっと歌ってみたら・・・この美空ひばりがだよ。ワンコーラス、苦しくて歌えないんだよ。だから、もう一回入院することにした」
本書にはあまりに多くの「昭和の有名人」らが登場してくる。もはや平成が終わろうとするだけに、なじみが薄くなった人も少なくない。本文の欄外で、細かく注釈を入れている。通し番号がふられているが、計60にもなる。「私のことをよく知っている人は、ほとんど鬼籍に入った」と中村さん。ゴッドマザーの書き残した「遺言」ともいえる本書は、後輩の芸能関係者にとっては必読本だろう。
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