プロ野球、サッカーJリーグばかりか大相撲にまで広がった国際化。遅れてはならじと日本中央競馬会(JRA)は2014年の騎手免許試験要項から、外国人騎手についてとうとう通年免許を加えることにした。仏ジョッキ―、クリストフ・ルメールさんは、同試験に最初に合格した2人のうちの一人。JRA本格デビュー3年目にはリーディングジョッキーになるなど華々しい活躍をみせ、ファンの期待に応えている。
本書『クリストフ・ルメール 挑戦』(KADOKAWA)は、フランス時代から日本で頂点を極めるまでルメール騎手を追った半生記。その「知られざる素顔」ばかりか、競走馬と交わす独特のコミュニケーションや、レース中の駆け引きなどが語られている。
JRAの騎手試験に一発合格を果たし15年春からJRAに籍を置くことに決定したルメール騎手。フランスで所属していた組織では他国との二重免許を認めていなかったのでこれを返上し日本専属となった。そして3月初旬にデビューという運びになったのだが...。
「軽率なことに調整ルームにいる時間帯に、ツイッターの応援メッセージに返事をしてしまいました」。そのためいきなり1か月の騎乗停止処分。短期免許での来日時には、外国人騎手に不評な調整ルームも「集中できる」とアレルギーはなかったが、逆に日本に慣れて油断したようだ。
父親のパトリスさんは元障害レースの騎手で、幼いころからその姿を見て育っただけに、当然の成り行きというか、早いうちから騎手になりたい希望を抱くようになったという。ところが、性格が不向きと父は反対。競馬学校には行かせてもらえず高校に進学し、休日にアマチュア騎手として調教騎乗を重ねて、プロ騎手への道を切り開いてきた。人生でのちょっとした「待った」は経験済みだった。
騎手となってからは日本のほか、ドバイ、インド、米国など積極的に海外遠征を飛び出した。その経験があるからこそ、日本での騎手生活の道を選ぶ選択ができたと振り返る。短期免許で訪れた際の、優れた競走馬との出会いも理由だったようだ。
JRA騎手として1年目の15年は、処分などで出遅れたものの1着は112回あり4位につける。そしてこの年の終わりにコンビを組んでGI初勝利をもたらしてくれたメジャーエンブレムとの出会いが翌年の飛躍へのつなぎとなった。「フランスならディヴァインプロポーションズやナタゴラ、それに日本ならウオッカなどが僕の乗った牝馬のなかでもベストと思える存在だけど、メジャーエンブレムはすでにそれらのなかに入っているといっていいでしょう」と振り返る。
2着と5馬身差で快勝したクイーンカップを受けて臨んだクラシック第1弾の桜花賞。1番人気と期待を背負い、ルメール騎手自身もスタート直前まで「大丈夫」と思っていたが好事魔多し。ゲートが開いた瞬間にメジャーエンブレムがつまづき遅れを最後まで取り戻せなかった。この後、同馬とは、二冠目の挑戦となるオークスではなくNHKマイルカップに向かう。こちらのレースでは「ポンっと出てくれました」と好スタート。道中も終始よく2着にハナ差でゴールに飛び込んだ。
メジャーエンブレムはこの後、左後肢や左前脚にトラブルが生じ引退を余技なくされるが、ルメール騎手はこの年、同馬と同じ世代の牡馬戦線でも名馬と出会った。そのうちの1頭がサトノダイヤモンド。川田将雅騎手のマカヒキとのデッドヒートを展開した日本ダービーは、競馬史に残る名勝負の一つともいわれる。ルメール騎手は、サトノダイヤモンドの前にマカヒキとのコンビで2戦2勝の星を残しており、著者は「最も負けたくない相手だったのではないだろうか...」とみる。
レースでは2頭は馬体を並べてゴールしたが、軍配はハナ差でマカヒキに。「負け惜しみではなく、皆が思っているほど悔しいという感覚はありませんでした」とルメール騎手。「僕はまた来年以降、勝てるように努力をすればいい。それだけの話です」。ファンならご存知のとおり、ルメール騎手はこの言葉通りのことを1年後に実行してみせる。
ルメール騎手とサトノダイヤモンドはこのあと、三冠最後のとりで菊花賞に挑戦。単勝2.3倍の一番人気で臨み見事に優勝し、その勢いに駆られて有馬記念で「初めてとなる古馬との一戦」に。相手は北島三郎さん所有で話題になったキタサンブラック、ディフェンディングチャンピオンのゴールドアクターら。「勝負になる」とは思っていたルメール騎手だが「どこまでやれるかな?」とも。
3~4コーナー、2番手からキタサンブラックが先頭に立とうとする。その後ろにはゴールドアクター。「ライバルを射程にいれて競馬するのは当然」とルメール騎手はサトノダイヤモンドをその後ろにつける。そのまま馬群は直線に。突き放しにかかるキタサンブラック...。「こちらもまだ手応えが残っていました。だから『負けないぞ!』というつもりで追いました」
まずゴールドアクターをとらえて2番手にあがったサトノダイヤモンド。そして、内で粘り込みをはかるキタサンブラックに迫り、ついにゴール寸前でとらえ勝利をモノにした。
ルメール騎手はこれが、16年の186勝目。このあともう一つ勝ち、この年187勝を挙げたが、わずか1勝の差で同年のリーディングトップの座を逃した。だが翌17年、ダービーで雪辱を晴らしたのと同様、この年は199勝を記録し、本書のサブタイトルに掲げられたように「リーディングジョッキー」に輝くことができた。
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