漱石が鴎外に「たまごっち」をねだり、啄木は伝言ダイヤルにはまる。明治の文学史と平成の風俗が渾然一体となって、小説はつづく。なんでもあり、一見ふまじめとも思われるスタイルだが、明治の文学者たちが、苦しみながら日本語の文体、日本語の小説、詩をつくりあげていったことがよくわかる構成となっている。
啄木の実際の「ローマ字日記」には、性欲に苦しみながら、悶々とするさまが描かれているが、作中の啄木もまたエロビデオや女子高生とのいかがわしいやりとりをする一方、生活と創作に苦しむ。明治の文学者たちが、すぐ近くで息をしているようなライブ感覚が感じられる。案外、当時の彼らのノリも、こんな風だったかもしれない。
著者も登場する「文学史」
著者の高橋源一郎も作中に登場する。漱石が胃の病気で死にかけたのは「修善寺の大患」として知られる文学史のエピソードだが、高橋もまた本作の執筆中に胃潰瘍で死線をさまよう。そのことも「原宿の大患」という章でリアルタイムで書かれている。評者が知っている文芸記者たちも見舞いにかけつける。この章では漱石の入院と著者の入院の描写が入り交じり、異様なものとなっている。高橋が漱石に問いかけるくだりがある。出版社は「講談社ですけど」と高橋。「大日本雄弁会? 悪いけど、ぼくはそんな二流の出版社には書かないよ、本屋なら中央公論、新聞なら朝日に読売、国民新聞」と漱石。時間を飛び越えた、こんなやりとりも慣れてくると、違和感がなくなるから不思議だ。
日本文学がどのようにしてつくられたのか、笑って泣いて知ることができる破格の小説である。第13回伊藤整文学賞受賞作。
(BOOKウォッチ編集部JW)