納豆は日本の伝統食品――そう思って疑わない日本人は少なくないだろう。 しかし、納豆文化は東アジアの山間地域、いわば「辺境地域」の民族に広がっていた。そこでは私たちが思い浮かぶ納豆の姿とは全く違った、様々な形で食べられていたのだ。
高野秀行さんはその冒険譚を『謎のアジア納豆 そして帰ってきた〈日本納豆〉』(新潮社刊)という一冊の本にまとめた。そのあとがきに「アフリカにも納豆がある」ということを示唆して。 そして、アジア納豆から4年。ナイジェリア、セネガル、ブルキナファソという西アフリカ地域の驚くべき「納豆」の姿と、日本の隣国・韓国の家庭料理・チョングッチャンを通して解き明かされる韓国食文化における納豆の秘密を解き明かしたのが『幻のアフリカ納豆を追え! : そして現れた<サピエンス納豆>』(新潮社刊)である。
「納豆」の既成概念が崩壊していく本書。大豆じゃなくてもいい? なんなら豆でなくても納豆はできる? 納豆民族なら知っておきたい食文化の話を高野さんに聞いてみた。
(聞き手/金井元貴、撮影/山田洋介)
――『幻のアフリカ納豆を追え! : そして現れた<サピエンス納豆>』は『謎のアジア納豆 そして帰ってきた〈日本納豆〉』の続く、納豆シリーズの第2弾となります。
高野:納豆というテーマだけで、これだけ分厚い本が2冊も書けるのかと驚かれますね(笑)。
――最近では、Googleで高野さんのお名前を検索かけると、サジェスチョンに「納豆」と出てくるようになりました。
高野:この取材を始めてから2年目くらいに、周囲の人たちに「そのうち俺は納豆の人と言われるようになるよ」って予言していたんですけど、まさにそうなりつつありますね(笑)。当時はソマリランドの取材を同時にしていたから、単なる冗談と受け取られていたけれど、そうなる確信は当時からありました。
――『謎のアジア納豆 そして帰ってきた〈日本納豆〉』ではタイ、ミャンマー、ネパール、中国といった東アジアの辺境を中心に取材されましたが、今回は西アフリカということで、西アフリカにも納豆があるのか!と驚きました。アフリカにも納豆があることを知ったきっかけは何ですか?
高野:そのこと自体はずいぶん前から知っていたんですよ。ナイジェリアにダワダワというパルキア(アフリカイナゴマメ)を発酵した食品があるということはいろんな本に載っていたし、また、スンバラという味噌のような発酵食品があることも知っていました。日本の研究者や援助関係の人たちは「スンバラ味噌」と言っていましたが。
ただ、大豆がないところなので、何で作っているのかは分からなかったんです。今回の最初の取材も、味の素に勤めている幼馴染みの「ナイジェリアの健ちゃん」が現地にダワダワの調査に行くということで急に誘われてついていったので、下調べをする暇が取れなくて。
で、パルキアって漠然と大豆みたいな草なのだろうと想像していたのですが、行ってみると、高さ10メートル以上の巨木で(笑)。まずそこに度肝を抜かれるわけです。そこに自然になっている豆を利用してダワダワを作っているということに驚きました。でも、豆自体は大豆に似ているんですよね。
――実際に発酵させて作ったダワダワは、納豆と味や風味が似ているんですか?
高野:まったく同じなんですよ。
――同じ味を食べると聞くと、食文化自体も似ている部分があるのではないかと思うのですが。
高野:同じではないけれど、趣向が似ている部分は感じました。例えば、西アフリカでは、雑穀やイモの粉が主食で、それを練ってモチのようにして食べるんですけど、つけるソースはネバネバなんです(笑)。オクラやモロヘイヤ、モロヘイヤに似たハイビスカスの葉っぱなど、ネバネバしているもので作ったソースの中に、さらに納豆を入れる。
ネバネバの利点の一つは食べ物に絡みやすいということです。彼らがネバネバしたものをソースに主食を食べているのを見ると、日本人が納豆を小粒にして、ご飯に絡みやすくして食べている姿を重ねてしまいますよね。だから、そういう趣向は似ていると思います。
――ナイジェリアでダワダワを味わい、次はセネガルですね。名前はなんと「ネテトウ」。
高野:これはみんな笑います。日本人も、セネガル人も(笑)。日本人に言うと、「それはJICA(国際協力機構)がセネガル人に教えたんじゃないか」と言い出すし、逆にセネガル人に言うと「まさか、ネテトウをセネガルから輸入しているの?」と驚きます。反応も全く同じです。
――まさに「ナットウ」交流というか。この本を読んでいると、そのものを食べるのではなく、うま味成分としてネテトウが使われている感じですね。
高野:そうですね。西アフリカの人たちはうま味上級者です。セネガルやナイジェリアの川辺やデルタ地帯に住んでいる人たちは、タンパク源としてすでに魚介があるんです。だから納豆は必要ではないはずですが、味を調えるために納豆を使っています。
ただ、ネテトウって、セネガルでは昔からあったものではないんですよね。取材で分かったことですが、一部の民族が食べていたものが首都ダカールに持ち込まれていて、1960年のセネガル独立前後でそれが一気に広まったもののようです。
――ネテトウの炊き込みご飯の名前が「セ・ボン」というのも面白いですよね。フランス語で「美味しい」ですから。味が気になります。
高野:セ・ボンはかなり複雑なうま味がある食べ物でした。ちょっと表現できない。セネガル人はうま味に対してかなりクレイジーだなと。
――続いて高野さんは舞台をアジアに戻して、韓国の「チョングッチャン」に挑みます。日本でも韓国料理店で食べられますが、納豆料理とは意外でした。
高野:ただ、チョングッチャンは韓国の納豆汁とネットでも書かれたりしていたので、なんとなくそんな感じだと思っていましたね。僕が日本の韓国料理店で食べたものは、牛肉が入った外国人向け豪華チョングッチャンだったので、韓国の人が普段家庭で食べているようなチョングッチャンが食べたかったですね。
――面白いのは韓国でキリスト教が弾圧されたときに、山に逃げ込んだ隠れキリシタンたちがチョングッチャンを食べていたということです。そう考えると、歴史に果たした納豆に役割って実は大きいのではないかと思いました。
高野:そう思いますね。辺境地域で作られているアジア納豆を掘り下げていくと、大豆から作られる納豆、味噌、醤油って並列に考えるけれど、実はまず納豆があって、次に味噌や醤油ができていったということが実感できるんです。
どういうことかというと、味噌や醤油って造るのが難しいんですよ。時間がかかるし、ある程度の資本も必要です。必要なものは大量の大豆、あとは塩ですよね。塩って内陸部に住む人たちにとっては貴重品で大量に入手することは難しい。それを確保するためには、ある程度の資本が必要で、生活にゆとりがなければ醤油や味噌は造れないんです。
隠れキリシタンなんかは一か所に留まると危険なわけだから、移動を繰り返していたはずです。そう考えると彼らが納豆を作って食べていたことは想像に難くないし、それが今に至るまで受難の記憶として伝承されているのだと思います。
――日本にもそうしたエピソードってあるんですか?
高野:納豆誕生伝説というのがありますね。平安時代、源義家が戦の時に馬の背中に煮豆を乗せていたら臭いがしてきたので家来が捨てようとしたところ、「これは食べられるのではないか」と義家が食べてみたら美味しかったという。
そういう話はたくさんありますが、戦に絡んだ話が多いんです。それはまんざら根拠がないわけではなくて、長期戦と納豆は深い関係にあったのだと思います。
――ただ、韓国では海辺でも納豆を食べるという謎が残ってしまいます。そこから高野さんが再取材で韓国に向かい、韓国人と納豆の深い関係に対して推理が働く部分はスリリングでした。
高野:実はすべての醤類の原点は納豆だったというね。僕が興味を持っているのは納豆だけではなくて、納豆についてその地域の人々がどう感じているのかということも知りたいんです。それが、この納豆取材の肝だと思っています。
韓国人のチョングッチャンに対する感情や感覚は、明らかに日本人とは違っていました。もちろん、他のアジアの納豆民族、西アフリカの納豆民族とも。
ところが、その違和感が残ったまま原稿を書こうとしたのですが、書けなかったんです。おそらく自分の中で違和感の正体が腑に落ちていなかったんでしょうね。それなら、もう少し調べようと、しつこく取材をしていったら、韓国人にとって当たり前の「醤類」そのものが、納豆菌をベースにした隠れ納豆食品だということに辿り着いたわけです。
――つまり、韓国料理のベースということですよね。
高野:そうです。納豆なくして韓国料理なしといっても過言ではありません。チゲ鍋に納豆を入れるとさらに美味しくなると言いますが、そのカラクリが分かって快感でした。
(後編に続く)
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