出版界の最重要人物にフォーカスする「ベストセラーズインタビュー」。
第108回の今回は『グッドバイ』 (朝日新聞出版刊)を刊行した朝井まかてさんが登場してくれました。
『グッドバイ』の舞台は、相次ぐ外国船の来航に揺れていた幕末の日本。長崎の油商「大浦屋」の娘・大浦慶(おおうら・けい)は先細る油商いに代わる新しい収益源として「茶葉」に目をつけます。売り込み先は外国。言葉もわからないし茶葉のことなんて何も知らない。無謀とも思える挑戦は、慶の人生を思わぬ方向に転がしていきます。
一人の商人の人生の因果と激動の時代が描かれたこの作品について、朝井さんはどんなことを語ってくれたのでしょうか。
(聞き手・構成:山田洋介、写真:金井元貴)
――『グッドバイ』は幕末の茶葉商人・大浦慶の一生を通して外国勢力に翻弄されながら近代化の道を歩み始める日本が描かれています。坂本龍馬や西郷隆盛など「ヒーロー」に事欠かないこの時代を書くうえで、朝井さんが選んだ大浦慶という人物はややマニアックな印象を受けました。
朝井:幕末といえば新選組など、有名で人気のある題材があって私も好きなのですが、この時代は日本の中の出来事だけでは見えないことがあるんじゃないかと思っていました。つまり、世界の歴史から日本を見ると、何が浮かび上がるのか。
すると、舞台はやはり長崎になるんです。幕末の動乱期、日本じゅうから志士が集まり、そして諸外国からも様々な思惑を持って商人が訪れます。まさに坩堝(るつぼ)です。そこで、彼らと交流のあった大浦慶を主人公に据えました。
――「こんなにすごい人がいたのか」と驚きました。女手ひとつで幕末の混乱期に茶葉交易を興して成功させたエネルギーには恐れ入ります。
朝井:彼女は当時、外国の商人から最も信頼されていた日本商人でした。ビジネスを成功させただけではなく、後に大きな詐欺事件に巻き込まれたという人生の波乱も私には興味深かったです。光と影のコントラストが強い人ですね。
――2015年に葉室麟さん(故人)にインタビューをさせていただいたのですが、葉室さんは当時、明治維新を総括する必要があると考えていて、そのための題材として明治維新を最初から最後まで経験した数少ない人物である西郷隆盛を選び『大獄 西郷青嵐賦』を書かれました。同じく明治維新を扱った小説として朝井さんのアプローチはユニークだと感じたのですが、なぜ商人を中心に据えたのでしょうか。
朝井:ひと言でいえば、人間関係の豊富さです。大浦慶は日本人だけでなく外国人とも交流がありましたから、小説で彼らの本音を引き出すことができます。また、大隈重信のように後に明治の元勲になるような人とも接点がありましたから、彼らの若い時代を描くこともできます。政治的な人間関係は各々の「志」があるだけに、いい意味で直線的になります。ですが大浦慶は政治的な人間ではない、まごうかたなき商人であったという解釈を私はしましたから、有象無象の関係が広がりました。思想・主義ではなく、これは欲得絡みの人間関係の凄みですね。
私も葉室さんとは生前親しくさせていただいていたのですが、幕末から明治維新、それから第二次世界大戦までを「近代として総括しないといけない」というお話をされていました。今回の小説を読んだら何とおっしゃったか......。たぶん、「朝井さんらしいね」と苦笑いされるかな(笑)。
――大浦慶の人間関係ですが、坂本龍馬や近藤長次郎とも接点があったんですね。龍馬はじめ海援隊の人々を彼女の商いの拠点だった大浦屋の敷地に入れて、風呂を使わせたり小遣いを懐に入れておいてやるといった描写がありましたが、これは本当にあったことなのでしょうか。
朝井:お金を貸したり、面倒を見たりしていたのは確かだと思います。彼らにはスポンサーが必要でしたし、当時のお慶は間違いなく長崎の大立者でしたから。小説には書きませんでしたが、大浦慶は龍馬の写真を持っていて、仏壇の中にしまっていました。だから、「二人は恋愛関係にあったんじゃないか」と推する人もいます。
――確かに、勘繰ってしまいますね。
朝井:ただ、私は違うと感じました。ですので小説では、龍馬は「ある理由」でお慶に自身の写真を渡したことにしました。
――現代の読者、特にビジネスマン層に訴求しやすいようにということなのかもしれませんが、幕末を書く小説は坂本龍馬や西郷隆盛といった英雄たちを「あるべきリーダー像」として打ち出そうという書き手側の思惑が感じとれることがあります。ただ、この小説はそうではないですね。
朝井:「この人のこういう部分、こういった事象が現代に通じる」といったことは、まったく意識せずに書いています。小説は読んでいただいて初めて完成するようなところがあって、読者一人ひとりが何をどう感じて、どんな像を結んでくれるか、書き手には未知数です。だからこそ書くことは面白いし、可能性がある。読者の受け取り方まで書き手が設定してしまうと、小説としてはトゥーマッチだと思っています。
私は「この主人公はここでどう考えるやろう?」とか、「ここでどう動く?」といったことを懸命に想像しながら、でも構えとしては絵画の写実のような筆の動かし方です。目に映る、そのままを掬い取っていきたい。彼女の人生を丹念に描くことで、あの時代の感情にも迫れるのではないかと思いました。
――ただ、やはり商人ですからビジネス的な要素はありますよね。彼女の家は代々油商人だったわけですが、この商いが先細りだと見て、たった一人で茶葉の交易に乗り出しました。いわば「新規事業」を立ち上げたわけで、その勇気には学ぶところがあると感じました。
朝井:勇気というか、やることが無茶苦茶ですよね(笑)。ただ、ある時期主な収益源だった商売が、安い商品が出てきたりすることで先細るという流れは幕末も今も変わりません。「何か新しい柱を」と考える人に対して、既得権益を持つ人が反対するという構図も同じですよね。
その反対を振り切って、世界とつながる仕事をした商人がいたという史実があるのです。大浦慶は未熟で無鉄砲で、周りはさぞ大変だっただろうという女性ですが、彼女はある時期、日本経済を確かに支えていました。
(聞き手・構成:山田洋介、写真:金井元貴)
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