ぼくのデスクの上はそうとう汚いのです。
積み重なった書類やら本やら原稿やら郵送物(DM)やらなんやら。編集者らしいといえばらしいのですが、あまりにも多すぎです。わずかなスペースでキーボードを叩いています。キーボードの位置がやたらと浅いので、必然的に姿勢が悪くなります。なんとなく息が詰まったような感じになるのは、姿勢が悪くて呼吸が浅くなっているからなのでしょうか。それとも、モノから醸し出さる圧迫感のせいでしょうか。
モノが溢れている中で仕事をするのは窮屈です。
昨年「ミニマリスト」旋風を巻き起こし、今月にはオーディオブック版の配信が開始した『ぼくたちにもうモノは必要ない』(ワニブックス/刊)の著者である佐々木典士さんは、「新刊JP」のインタビューの中で「自分のデスクの汚さを気にしはじめたら、片づけた方がいいでしょう。気になっているということは片づけられてないことがストレスになっているということですから、仕事にも支障が出る可能性があると思います」と語っていますが、汚れているのに慣れてしまって「自分では平気」と思っていてもどこかでストレスを感じているのかもしれません。
もう一つ、モノが多くなると「デッドスペース」が増えます(画像の緑色の部分がそれです)。例えば積み重なった書類や本(ぼくはこれを「タワー」と呼んでいます)。その上にペットボトルなどを置く勇気はぼくにはありません。ただ本や書類を積み重ねていくのみです。そこはもう使えないのです。また、タワーの中腹にある本を取り出すには、一度解体作業をしなくてはいけません。ジェンガのような緊張が走ります。
タワーが無残に崩れてしまったら、ぼくのデスクがある島の人たち全員で片づけがはじまります。それは、ぼく以外のメンバーたちの時間を燃やしてしまうことになります。短時間とはいえ、土下座ものです。
なので、要らないモノはどんどん処分していくことにしました。
表面にあるものが最も重要であるとは限りません。大切なものは表面をめくったところにあることも多いですよね。モノが溢れるということは、何を最も優先すべきなのか、その判断を惑わすことにつながります。「あ、これもやらなきゃ」「これもまだだった」などをなくすには、限りなく減らして、見えるようにすることが大切なのです。
必要だと思った書類はもともとパソコンで作られているのでデータであります。使い終わったけれどまだ使うかもと思っていた資料も処分。また探せばいいのですから。
広々とした空間は精神的な余裕をもたらします。さらに、視野は広がり、自分に対する自信をつけさせてくれます。でも、実際はこれでもまだまだです。それでも本が並んでいるあたり、モノへの執着があるということです。
『ぼくたちにもうモノは必要ない』の中で、佐々木さんはモノを少なくすることは「目的」ではなく、大事なものを見つけるための「手段」であると述べています。優先順位をはっきりさせることは、仕事をする環境において最も大事なことの一つ。それは心の余裕と、視野の広さ、そして今自分がどんな状態にあるのかということを客観的に見られる力が必要です。
見直すべきはモノだけでなく、今ある生活です。例えば使っているSNS、人間関係、参加しているコミュニティなど、挙げればキリがありません。確かにそういったものから安心を得られることもあります。しかし、行き過ぎると不自由さを感じることもあるでしょう。
そういう意味でも、まずデスクの上に少しでもストレスを感じたならば、「減らす」ということを意識するといいのかもしれません。それが始まりとなるのです。
(割井洋太/新刊JP編集部)
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