中国の輸入額は2015年9月まで11カ月連続で前年水準を下回り、今年1~9月の累計では前年同期比で15.3%減少。中国経済は低迷の一途をたどっている。
今や多くの日系企業にとって中国は重要な生産拠点であるだけでなく、日本国内には中国人観光客があふれていることを考えても、中国経済の落ち込みが日本経済に与えるインパクトは大きい。
今回取り上げる『大班 世界最大のマフィア・中国共産党を手玉にとった日本人』(集英社/刊)は、中国で現地のマフィアたちと交渉し、ことごとくビジネスを成功させていく、ある日本人を主人公に据えたノンフィクション・ノベル。実在する人物への綿密な取材にもとづき執筆された本作は、中国社会の実態を照らし出している。
本作の執筆経緯、また長期にわたる取材で見えてきた中国社会について、著者の加藤鉱さんに話をうかがった。今回はその前編である。
――本作の執筆経緯について教えてください。
加藤:タイトルの『大班』は中国語で心から畏怖される大ボスという意味です。20数年前に偶然、中国人から大班と呼ばれる日本人に出会った私は、かねがね彼の波乱万丈の半生を描きたいと思っていました。彼の経験、生き様のなかに、きわめて難儀と言われる中国ビジネスで成功する要諦が詰まっているからです。凡人では考え及びもつかない驚くようなやり方で、ふりかかってくる難問を一つひとつクリアしてきた姿は痛快そのもの。
ただ、内容があまりにもリアルで刺激的なことから、主人公の命を保証するために、小説として発表する必要があったということです。
――執筆する上で、特に伝えたかったこと、テーマにしようと思っていたことはなんですか?
加藤:これぞと見込んだ相手のふところに飛び込まなくては、いかなるビジネスも成功しない。そのためにはあらゆる努力、手数を惜しまないこと。ビジネスの世界に通底する常識なのですが、言うは易し、行うは難し。日本人のコモンセンスからかけ離れたお国柄の中国の場合はなおさらです。
1978年に始まった改革開放の設計者は訒小平でした。訒小平の要請により日本企業は中国に進出してきたものの、まったくの準備不足でした。ある意味、舐めていたのでしょう。その姿勢は進出が本格的になった1992年以降もあまり変わらなかったのは残念と言うほかありません。
中国ビジネスという戦場で干戈を交える前にすべきことがあったはず。それはこの小説の重要テーマにもなっており、すなわち中国人のメンタリティを理解することでした。
日本人の発想では公私混同は悪だけれど、おおかたの中国人はちがいます。いったん「おれおまえ(刎頚の友、身内)」のパーソナルな関係(中国語でグワンシ)を築いた相手をとことん優先します。そう、公私混同をするのです。彼らにとってはその方が心地良いからです。快感なのです。
さらに中国においては、そうした価値観をベースに利害関係の一致から徒党を組む「幇」と呼ばれる組織が、ありとあらゆる場所で形成されています。ふだんは表立って見えないのですが、日本企業に一朝何か起きると、必ずその裏側では社内でつくられた敵対的な幇が悪事を働いているわけです。悪事の詳細は読んでのお楽しみにしておきましょう。
このような中国人のメンタリティを理解せずに、しかも言葉もできない、中国人や華僑とのビジネス経験もない人間を現地法人の社長に立てて中国に進出した日本企業があまりにも多かった。それがいかに無謀なのかを知ってほしいという思いがありました。
いつのまにか社内につくられていた幇のために潰れた日系企業を私は何社も知っています。ただこれは日系企業に限ったことではありません。多くの欧米系の企業もずっと悩まされ続けてきました。欧米系企業は無警戒の日本企業とはちがい、社内幇を取り締まるために中国に顔の利く華僑を連れてきて現地法人のトップに据えたりして抵抗しましたが、結局、よそ者には社内の悪事を管理することは無理だったようです。
主人公の千住樹の凄味は、社内に敵対的な幇をつくらせなかったことにあります。なぜ千住にはそれができたのでしょうか? 千住自身が社内幇を形成し、そのボスになったからです。この逆転の発想には脱帽するしかありません。
――「あとがき」で千住のモデルになった人物(T氏)について触れられていますが、T氏は本作をすでに読まれていますか? 読まれていれば、どのような感想を受け取っていますか?
加藤:もちろん読んでいます。電話の向こうで、「ヤバいよ」と言って喜んでいました。
その電話の際、いま世間で大問題になっている横浜の「傾きマンション」の話題になりました。実は本書にも書いたとおり、彼は、中国で地盤の緩い土地に工場を建設した際、今回やり玉に挙げられているA社とは正反対の対応をとっています。30本の杭(コンクリートパイル)では工場内のメインマシンが水平を得られないと判断した彼は、完璧な水平を実現するために300本もの追加杭打ちを断行したのです。
本社からは当初予算を1億円もオーバーしたため、「1億円分余計に杭を打った男」とさんざん嫌味を言われたけれど、彼は平気の平左でした。建設予算の狂いよりも長いスパンでの経営を俯瞰した彼の予測どおり、その工場は操業開始以来、十数年間順調に利益を稼ぎ出し、海外工場の優等生としていまも本社に貢献しています。
傾きマンションの問題はつまるところ、日本企業のプライオリティの問題だと思います。日本企業は納期を守ることを最優先します。それがエシックスを鈍らせる。納期を守るためなら何をしても良いという発想にすり替わってしまうわけです。
中国ビジネスにおいても、日系企業は同じ過ちを犯しています。その場面は「第六章 チャイナオペレーション」で描かれています。
――千住以外のキャラクターにもモデルとなった実在の人物はいるのでしょうか?
加藤:李宁、祝世元、村松、鎮長、乗っ取りかけられた中国の日系企業、その親会社の面々を含めて、登場人物のほぼすべてが実在の人物です。ただ当然ながら、私の経験、仄聞などを絡めてデフォルメしてあります。ΣPhoneが登場する場面についてはノーコメントを貫きますが……。
――本作の中心には中国マフィアという存在がいます。加藤さんの目で日本のヤクザと比較すると、中国マフィアの特徴はどのようなところにあると思いますか?
加藤:中国共産党を世界最大のマフィアと書きましたが、捉え方によってはそれが中国という国の紛れもない現実なのです。政治力のない日本のヤクザとは比べものになりません。立法、行政、司法の上に中国共産党が位置する独裁体制で、ひらたく言えば、最高裁の判決にも中国共産党幹部の意向が反映されるのですから。何事もやりたい放題。こんなにすごいマフィアは世界中探してもいないはずです。
その頂点がチャイナセブンと言われる政治局常務委員。そこから権力のピラミッドが政治局委員(25名)、中央委員(約200名)、党代表(約2200名)、共産党員(約8800万人)という具合に広がっています。
――中国の闇社会を描くことで、取材中、危険な状況にさらされたこともあったのではないでしょうか。印象的なエピソード等があれば教えて下さい。
加藤:無難なものをふたつほど。
90年代に私が香港で主宰するファックス新聞に、ある中国のゴルフ場運営会社が不渡り手形を出したという記事を書いたら、すぐに同社から呼び出しを食らいました。覚悟して指定場所に出向いたら、当該ゴルフ場の理事(中国、香港の銀行をはじめとする錚々たる経済人)が待ち受けていたのです。「不渡りを出したのは本当だが、あれは手違いで、ゴルフ場の経営はうまくいっている。それを伝えるためにここに来ていただいた」次第に冷静さを取り戻してきた私は、錚々たる面々のなかに怪しげな連中が混じっていることを確認しました。
後日、理事の1人であるS氏と当該ゴルフ場でプレーをしてからは没交渉。この一件のことをすっかり忘れていた半年後、S氏が香港の有名な飲茶屋で射殺されました。ゴルフ場の経営を巡って揉めていたそうで、それで消されたのだと漏れ伝わってきました。
また、自分にすごくよくしてくれた中国人の紳士がいて、あとになってその彼が都銀(当時)の支店長を騙していた詐欺師だと判明したことがありましたね。慌てて調べてみたら、被害者が何人も出てきてびっくりです。それもほとんどが金融機関の支店長クラスの人でした。こういうことが本当に起きるのが中国なのです。
よく「なんでおまえだけ中国で騙されないんだ? なにか秘訣はあるのか?」と訊ねられますが、そんなものはありません。ただ、相手はプロですから、カネをもっていそうな奴、騙しがいのある奴を見分ける能力は抜群です。サイフの中身までお見通しなのです。私は海千山千の中国人に、一目で騙し甲斐のない日本人だと見抜かれたということになります。
だから、銀行とか金融関係の幹部はよほど気をつけて、普段の付き合いから警戒しなければなりません。まあ、アプローチの仕方が本当に自然だし、もてなし上手なので、いったん目星をつけられたら逃れられないかもしれません。それにしても彼はなぜ私に近付き、あそこまでよくしてくれたのか。いまもって謎です。
(後編へ続く)
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