水不足。記録的な豪雨。いま、わたしたちのまわりには、水をめぐる問題があふれています。そして、それらの問題はいよいよもって、人類の生命をおびやかすほど深刻なレベルに達しつつあります。 『100年後の水を守る―水ジャーナリストの20年』(文研出版/刊)の著者であり、水ジャーナリスト・アクアコミュニケーターでもある橋本淳司さんは、本書のなかで自身がこれまでに関わってきたプロジェクト、またそれらを通して見えてきた水問題の現状について書いています。 今回、新刊JP編集部は橋本さんにインタビューをおこない、水問題はいまどのような状況にあるのかをうかがいました。その後編です。
(インタビュー・構成:神知典)
――橋本さんの活動の柱である、水ジャーナリストとアクアコミュニケーターについて、それぞれどのようなお仕事をなさっているのか教えていただけますか?
橋本:水ジャーナリストについては、水不足、水汚染で困っている地域を取材する仕事が多いですね。最近は豪雨の問題について取材することも増えてきました。アクアコミュニケーターのほうは、ジャーナリストの仕事とは一線を引いた形で活動しています。具体的には、学校などの教育現場に入っていて、水の現状を子どもたちに伝える授業をおこなったり、自治体の条例づくりのお手伝いをしています。なぜアクアコミュニケーターという名前にしたのかといえば、授業にしても条例にしても、こちらから一方的に何かを伝えるだけではうまくいかず、相互にコミュニケーションをとり合うことの大切さを痛感したためです。
――最近では、ご自身がアクアコミュニケーターとして活動するだけでなく、橋本さん以外にもアクアコミュニケーターを育てることに積極的な印象を持ちました。
橋本:「地元の水を語るのは地元の人がいちばん」だと思っているのです。わたしにとっては、ある地域で地元の水のことを子供たちに伝えてくれる人が、どんどん出てきてくれることが嬉しいのです。
――「地元の水を語るのは地元の人がいちばん」と思われるようになったのはなぜですか?
橋本:よそ者であるわたしがどんなに調べたところで、昔からそこにいる人たちが持つ知恵のほうが優れている。そう思わされることが、これまでに何度もあったからです。その土地その土地で、何百年にもわたって培われてきた水の利用の知恵が残っているものです。
――これまで見てきたもののなかでいえば、たとえばどのようなものがありましたか?
橋本:ある村では、おじいさんが水源ごとにどんな水質が出るかを知りつくしていて、わずか十数メートルしか離れていない井戸なのに、「この水は山の東側から流れていくる地下水だから飲んでも大丈夫だけれど、あっちの水は山の西側から流れてくる地下水だから鉄分を多く含んでいる。だから飲まないほうがいい」という知恵をまわりの人と分かち合っていました。これからますます自然環境が厳しくなっていくでしょうから、自然と共に生きていくためにも、そういった形で上の世代の知恵が、次の世代へうまく伝承していけばいいなと思っています。
――いま「次の世代」という言葉が出ましたが、本書は主に子どもたちに向けて書かれたのかなという印象を持ちました。本書の執筆経緯を教えていただけますか?
橋本:最初に編集者の方からいわれたのは「あなたが普段、どんな仕事をしているのか分かりづらいから、それが分かるように書いてほしい」ということでした。いわれてみると確かに、わたしはこれまで水に関する本を何冊か出してきましたが、自分の仕事について書いたことはありませんでした。そこで今回は、自分がどのようにして水に興味を持ったのか、なぜこれまでこのテーマにこだわり続けてきたのか、水ジャーナリストやアクアコミュニケーターといった仕事はどういったものなのか等、自分自身のことについて書くことにしたのです。
――本書の「おわりに」のなかで、「自分について書いたのは初めてだったので、最初は気恥ずかしくもありましたが、最終的には自分のことがよくわかりました」と書かれていましたね。
橋本:今回これまでのことを振り返るなかで、自分は「何かの目標を持って突き進む」ということをしてこなかったなと気づきました。逆に、節目節目でいろいろな方にいいアドバイスをいただき、そのアドバイスに導かれるようにして今に至っていることを痛感しまいた。
――そのような出会いも含め、様々な環境変化によって、ご自身の水への興味の持ち方も変わっていったのでしょうか?
橋本:最初は水の色に興味を持ちました。「なぜ、こんな色をしているのだろう?」って。その後、大学進学にともなって、地元の群馬県から上京した際に、「水道水の味は、場所によってこんなにも変わるものなんだ」と気づいたことがきっかけで、水の味にも興味を持ちました。さらにいえば、中学1年生のときに出会った写真集を見て一目ぼれした、カナダの「レイク・ルイーズ」に20代なかばで行ってからは、水の音にも興味が湧くようになりましたね。現地ではカワセミが水浴びをするときやビーバーがダムをつくるときに立てる音などが聞こえてきたものですから。
――先ほど「節目節目でいろいろな人にアドバイスをもらった」とおっしゃっていましたが、たとえばどのようなアドバイスをもらったのでしょうか?
橋本:ジャーナリストとして初めての単行本を出したときに、大叔父から「おまえの本には、H2Oのことしか書いていない。おいしさや体によいことについての科学的な説明はされているが、かんじんの人間と水についての哲学がまるでない」といわれました。この大叔父は、わたしが小学校3年生のときに、栃木県の足尾に連れていってくれた人です。当時、水の色に興味を持っていたわたしは、足尾銅山の水の色が透明であることに疑問を持ち大叔父に質問しました。すると「知らん。自分で調べろ」とだけいって、わたしのことを突き放したのです。でも結果的にはそれがよかったんですね。自分で調べるうちに、水についていろいろとおもしろいことがわかってきました。この経験は、いまの仕事の原点といえます。単行本を出版したときの話にもどると「哲学がない」といわれたことで、自分の仕事のスタイルに疑問を持たざるをえませんでしたね。それまでは「どこそこの水がおいしい」といった興味本位のテーマばかりを追いかけていましたが「本当にそれでいいのだろうか?」と立ち止まるきっかけになりました。たまたまその少し前から、バングラディッシュなどの水に困っている地域も取材するようになっていたこともあり、自分の仕事が「水をめぐる過酷な状況を伝える」方向へとシフトしていきました。
――現時点で橋本さんが考える「人間と水についての哲学」とはどのようなものですか?
橋本:最近たまたま、京都の貴船神社を訪れる機会があって、そこにあった「御水守り」というお札に、まさに「人間と水についての哲学」ともいうべきものが凝縮されているように感じました。このお札には「水は尊し」「水は美し」「水は清し」「水は強し」「水は恐し」「水は深し」と書かれています。この6つに水と人との関係が凝縮されているのではないかと思います。詳しいことは本にも書きましたが、わたしは子供のころ親父とドブ川みたいなところで遊んでいたときに、水への恐怖心みたいなものを持ったことがあって、そのときの記憶がいまでも鮮明に残っているんです。このお札を見るまでは、そういった恐怖心は「克服しなきゃいけないもの」だと思っていたんですが、「水は恐いもの」として受け入れることのほうが大切だと思うようになりましたね。東日本大震災や広島の豪雨の例を見ても、水が恐いもので、強いものだということは明らかですから。
――最後に、読者の方へメッセージをお願いします。
橋本:もともと小学校高学年向けに書いた本なので、子どもたちに読んでもらいたいのはもちろんなのですが、それ以外にも、水の教育に興味がある方、水とどういうふうに付き合っていこうか迷っている方、あるいは地域の水を守っていきたいと思っている方などにも読んでいただきたいですね。また、この本のなかに書かれていることが、ゆっくりと読者の方のなかにしみわたり、いつか「あぁ、そういえば、あの本に、あんなことが書かれてあったな」と思い出していただけたらうれしいです。
(了)
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