年末年始もテレビで引っ張りだこだった蛭子能収さん。
大みそかに放送された日本テレビのダウンタウンの大晦日スペシャル!!『絶対に笑ってはいけない大脱獄24時』では、カリスマ模範囚として登場。月亭方正さん扮する変態仮面が被っていたブリーフパンツを履いていた正体として明かされ笑いを巻き起こすと、1月3日には大人気旅番組『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』(テレビ東京)の第19弾が放送され、大阪城から金沢・兼六園をローカル路線バスで移動。見事、成功することができた。
『ひとりぼっちを笑うな』(KADOKAWA/刊)は、そんな蛭子さんが孤独観と自由観を書きつづった新書で、昨年8月の出版以来、大きな話題を呼んでいる。『「群れず」に生きる』『「自己主張」はしない』など、「つながる」ことを至上とする現代の風潮にメスを入れた一冊に共感する読者も多い。
新刊JPは蛭子能収さんにインタビューを決行。本書の内容を中心に、蛭子さんの哲学についてお話を聞いてきた。今回は後編だ。
(インタビュー・構成:金井元貴)
■「蛭子能収伝説」、蛭子さん自身はどう受け止めているのか?
――漫画家だった蛭子さんが芸能界に入るきっかけをつくったのが、劇団東京乾電池の柄本明さんです。このエピソードも印象的なのですが、さらに本書でつづっているのが、蛭子さんを面白がってくれる人たちがどんどん引き上げてくれた、と。周囲の人たちに導かれて、今の蛭子さんがある。
蛭子:そうですね。人に動かされて、今、ここにきた感じなんです。なんかね、おれには親友と呼べる存在はいないんだけど、お世話をしてくれる人があらわれるんですよ。自分からは近づかないんだけど、近づいてきてくれる人がいる。多分そうですね。
――近づかれたときに警戒心を持たないのですか?
蛭子:多少は持ちますけれど…。でも、なんとなく「この人は良い人」とか「付き合うとややこしくなりそう」というのは分かりますね。
――インターネット上には、「蛭子能収伝説」として、蛭子さんのエピソードをまとめたページがたくさんあります。
蛭子:よく書かれているみたいですね。自分の言動が注目されることは嫌なことではないし、「宣伝してくれてありがとう」という感じです。ただ、おれは(インターネットを)全然見ないので分からないんですよ。だから、そういう話は人づてに聞くことがあります。
――「お葬式で笑ってしまう」というエピソードは本当なのですか?
蛭子:本でも少し触れていますが、これは本当です。だから最近、お葬式には行ってないんですよ。もう4、5年行ってないんじゃないかなあ。「緊張しないといけない」という場面が苦手なんです。緊張しないといけない環境がつい喜劇に見えてしまって…。だから葬式は嫌です。でも、自分の親戚が亡くなったら行かざるを得ないので…。緊張する場面にあまり遭遇したくないですね。
――テレビ番組の収録で、緊張しなければいけない場面はありませんか?
蛭子:あるかなあ…。最近はそういう番組には出ていないですね。あ、でも『NHK歌謡コンサート』の生放送の回にゲストで出演したときは緊張しましたね。真面目な番組なので。
――蛭子さんは芸人の方々からツッコミを入れられたり、いじられたりすることもありますよね。嫌な気持ちになることはないのですか?
蛭子:しないです。向こうも必死に考えて視聴者を笑わせようとしてやっていることですし、ギャグなのだから、それに付き合わなくてはと思うんですね。
――それは素晴らしいです。
蛭子:でもね、この前、「蛭子のクズ伝説」とか言われて、落ち込んじゃったんです(苦笑)。そんなにクズではないと思うんですけどね…。
■「もう漫画家はいいかな」
――蛭子さんにとって「孤独」とはなんでしょうか。
蛭子:なんでしょうか…。でもね、嫁さんがいないというのはすごく寂しかった。嫁さんがいないと何もやる気がしないんですよ。競艇も楽しくない。不思議ですね。
(*蛭子さんの前夫人は2001年に死去。2007年に雑誌の企画で出会った女性と再婚した)
――「ひとりぼっち」は周囲の支えがあってこそのものなのかもしれませんね。
蛭子:完全なひとりぼっちは寂しくてやりきれないと思いますね。おれにもし女房もいなくて、芸能人でもなかったら、毎朝起きてすぐに雀荘に行くと思います。そうすれば、絶対に寂しくないですから。一人ではいられないと思うんです。この『ひとりぼっちを笑うな』という本も、家族がいるからこそ書けたように感じます。本当にひとりぼっちだったら、「笑うな」なんて言っていられないかもしれません。
――蛭子さんは漫画を書く際も一人なのですか?
蛭子:そうですね。アシスタントはつけません。もしアシスタントがいたら、命令されそうな気がするんですよ。こうしたほうがいいとか言われて、その通りにしちゃう。自分で好きなように書きたいから、一人です。
――蛭子さんがこれまで読んできた本で、最も影響を受けた一冊あげていただけますか?
蛭子:おれ、本を最後まで読み切ったことがないんです。難しい漢字が出てくるとそこで止まっちゃう。だから、結局漫画になるのですが、一番影響を受けたのは、つげ義春の『ねじ式』ですね。谷岡ヤスジという漫画家が「一気に読めない漫画はダメだ」とよく言っていたのですが、おれもそう思うんですよ。一気に読ませてくれないといけない。つげ義春の漫画を読んだときは「すごいなあ」と思いました。読みやすくて、場面もわかりやすいのに、ストーリーが分からない。感覚で読む漫画だったので。
――独特な作風で知られる蛭子さんの漫画ですが、描く際にどのようにインスピレーションをわかせるのですか?
蛭子:昔は見た夢をノートに起こしていましたね。でも、今は夢を見なくなってしまったので、なんとなくしぼりだしています。だから、面白いものが描けていません。ページ数も少ないしね。最近漫画を描く意欲もあまりわかないんですよ(笑)。テレビにもいっぱい出ているし、もう漫画はいいかな、って。お金もテレビの出演で足りているし、漫画家をやめてもいいくらい。
――えっ、やめてもいいんですか!?
蛭子:でも、(自分が)漫画家と言えなくなったら恥ずかしいですよね。タレントよりも漫画家の方が聞こえはいいじゃないですか(笑)
――2015年になりました。今年はどのような年にしたいと考えていますか?
蛭子:自分としては与えられた仕事をこなすだけなんですが、あまり目標を持たないので…とにかく生活をきちんと確保できればいいかなと(笑)。仕事については、あれがしたいこれがしたいということはないです。でも、できればもう少し休みがあって自由時間を増やしたい気持ちはあります。
――では最後に、本書をどのような方に読んでほしいですか?
蛭子:今、無理をしてグループに入っている人ですね。そのグループの人たちとの付き合いがなんとなく面倒くさいなと思ったり、なんか嫌だなと思っている人はいると思うんですね。そういう人たちに向けて、そっとそのグループを抜け出してひとりぼっちになることを提案したいですね。
(了)
■蛭子能収さんプロフィール
1947年10月21日、長崎県生まれ。長崎商業高校卒業後、看板店、ちりがみ交換、ダスキン配達などの職業を経て、33歳で漫画家に。俳優、タレントとしても活躍中。
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