今年4月、コロンビアのノーベル賞作家、ガブリエル・ガルシア=マルケスが亡くなったのは記憶に新しいところです。
ラテンアメリカ文学の第一人者の死ということで、日本でも大きく報じられ、文芸誌が特集を組んだり、書店で同氏の著作のフェアが行われたりしたので、これを機に作品に触れたという人もいるはず。
ところで、ガルシア=マルケスの一番の代表作といえば、何と言っても『百年の孤独』です。ブエンディア一族の盛衰と砂漠の村「マコンド」の建設・消滅を描いたこの作品は、後の文学作品に与えた影響があまりにも大きかったため、何らかの共通点がある作品が発売されると“○○版『百年の孤独』”といった呼ばれ方をされることも。
今回はそんな“○○版『百年の孤独』”をいくつか集めてみました。知っている作品はいくつありますか?
■『真夜中の子供たち』(サルマン・ラシュディ/著、早川書房/刊)
インドの近現代史を一つの小説に詰め込んだような『真夜中の子供たち』は、“インド版『百年の孤独』”との評価受けています。
1947年8月15日0時00分00秒という、インド独立のその瞬間に産声を上げたおかげで不思議な力を与えられた主人公のサリームが、30数年の数奇としかいいようのない半生と、自身が生まれる前、祖父の代からの一族の歩みを、インドの歩みと重ねて語るという大長編。
虚構と現実が入り乱れる語り口や、ある長期間を描いた年代記だという点など『百年の孤独』との共通点は多くありますが、「インド亜大陸すべてが舞台」と言えるほど物語の中心地があちこち飛び回るため、スケールの大きさでいえば本家を凌ぐかもしれません。
■『世界が生まれた朝に』(エマニュエル・ドンガラ/著、小学館/刊)
コンゴ共和国出身の作家、エマニュエル・ドンガラの『世界が生まれた朝に』は、現実と幻想が物語の中に共存するという点で、『百年の孤独』を踏襲して書かれた感すらあります。
呪術師・マンダラ・マンクンクの半世紀にわたる旅を通してアフリカから見た近現代を描くという、意識的に物語を重層的にする手法も本家に通じるところがあり、“アフリカの『百年の孤独』”と呼ぶべき作品です。
■『シンセミア』(阿部和重/著、朝日新聞出版/刊)
では、日本には『百年の孤独』はないのでしょうか?
“日本版『百年の孤独』”として真っ先に思い浮かぶのが、阿部和重『シンセミア』です。
山形県東根市神町でパン屋を営む田宮家と地回りヤクザの麻生一族、ヒマを持て余して盗撮に耽る一団や彼らに脅迫される教師など、一癖ある人々の思惑が絡まり、もつれながら物語は進みます。神話的なラスト、舞台がほぼ神町から動かず、登場人物も町内の人がほとんどという土着性はかなり『百年の孤独』的。
■『乳しぼり娘とゴミの丘のおとぎ噺』(ラティフェ・テキン/著、河出書房新社/刊)
最後に紹介するのは、7月17日に河出書房新社から発売される、ラティフェ・テキン『乳しぼり娘とゴミの丘のおとぎ噺』です。初の邦訳なので内容はまだ明らかになっていませんが、“トルコ版『百年の孤独』といわれる中東文学の代表的傑作。郊外のゴミ処理場に住み着く人々と彼らが創りあげる幻想的でグロテスクな異界の物語を、ノーベル賞作家パムクと並ぶ実力派が描く。”(出版社サイトより)とあり、かなり『百年の孤独』の匂いを感じます。
“○○版『百年の孤独』”という呼び方だと、まるで本家の二番煎じ、三番煎じのように思えますが、実際に読んでみると、本家ガルシア=マルケスの『百年の孤独』よりも面白いと感じるものもあるはずです。
いずれもかなりの長編なので、読むのには少々の気合と根気が必要ですが、“○○版『百年の孤独』”の称号はダテではありません。時間と労力をかけて読むだけの価値はありますので、ぜひチャレンジしてみてください。
(新刊JP編集部)
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