極東の海に浮かぶ島国・日本に、アフリカの北部にあるスーダンという国から一人の若者がやってきた。彼の名はモハメド・オマル・アブディン。モハメドはアフリカでは"掃いて捨てるほどいて"まぎらわしく、「オマル」は父親の名前だが、別のものを想像されてしまうので、「アブディン」という名前で親しまれている。
アブディンは生まれつきの弱視。12歳のときに視力を失い、外出時には白い杖が欠かせない。来日したのは今から15年前のことで、もともとは鍼灸の勉強が目的だったが、紆余曲折の末、今では東京外国語大学で研究をしながら、視覚障がい者の支援活動を行っている。
そんな彼が、異文化の中で過ごした涙あり笑いありの15年間をつづった『わが盲想』(ポプラ社/刊)は、日本人の私たちが読んでも新しい発見がある面白エッセイ。彼の目には「日本」が見えたことがない。しかし、心ではしっかりと日本を見ているのだ。
さて、アブディンは日本人も舌を巻くほど日本語が巧いのだが、来日当初は当然ながらまったく日本語ができなかった。教材を目で読むこともできない、非漢字圏から来た彼の日本語が飛躍的に上達したきっかけとは一体なんだったのだろうか?
■語彙が格段に増えた、日本のおやじ○○○
福井県の盲学校に入学したアブディンは、そこで鍼灸の勉強をする。そこでは「まどか寮」という寮に住んでいたのだが、週末になると寮が閉鎖されるため、盲学校の職員である荒川さんの家にホームステイすることになる。
そこで彼が困ったのが、荒川家の父である義弘さんによる「おやじギャグ&若者が使わなくなった福井弁講座」だ。晩ごはんのあとに二時間ほど、そのレッスンは続き、次第におやじギャグや福井弁を覚えていくようになる。そしてついには、義弘さんのおやじギャグ攻撃にアブディンがおやじギャグで応戦。さらに、義弘さんは、日本のおやじたちを代表して、とっておきのネタを放出してくるようになったのだ。
このおやじギャグ講座によって、アブディンの日本語の語彙は格段に増し、さらに周囲の日本人たちとも打ちとけられるようになった。そんなアブディンの考えたおやじギャグがコレ。
「スーダンはどんなところですか?」
「スーダンは日本より数段広くて、数段暑い国だ」
初対面の人と打ちとけるにはもってこいのネタだとアブディンは豪語する。
でも、お笑いに厳しい人のために、あともう一つアブディン作のおやじギャグを紹介しよう。
「スーダンはどこにあるんですか?」
「ヨルダンという国があるでしょ? その隣にヒルダンがあって、その真南にアサダンとスーダンがある」
ちなみに、このギャグを大真面目な人に使うと、「あ、そうなんですか? 初めて知りました」と真に受けられるそうで、アブディンは「実に厄介だ」と困惑している。
■ラジオの野球中継から日本語を学ぶ
アブディンはプロ野球の広島東洋カープの大ファンなのだそうだ。しかし、そもそもアフリカでは全くといっていいほど野球が定着していないし、しかもどうして広島?と思う人も多いはず。
そもそも、アブディンにとって、ラジオから流れてくる野球放送は退屈そのものだった。しかし、盲学校で盲人野球というスポーツを(強制的に)始めると、その楽しさを知り、野球放送を聞き出すようになるのだが、そこで学んだことが、実況アナウンサーの話し方だった。
プレーが止まることが多い野球は、間ができることが多い。そのため、間を埋めるためにアナウンサーがいろいろな話題を繰り出し、弾むような口調でリスナーを楽しませてくれる。さらに、その場その場で的確な言葉を選んでプレーを説明してくれる。例えば、ファウルになったときにアナウンサーが「会場のざわめきがどよめきに変わりました!」と言えば、アブディンは「ざわめき」と「どよめき」という2つの言葉を肌で実感しながら、理解できたというわけだ。
ちなみに、カープが好きな理由はここでは割愛するが、15年連続Bクラスと低迷する球団に対して「日本を離れる前に、一度ぐらいは優勝してほしいものだ。それ以前に、せめて一度ぐらいはAクラスになってくれないかな」と切望している。
本書は、パソコンの音声読み上げソフトを駆使して、アブディン自身が執筆したのだそうだ。だからだろう、ユーモアにあふれていて、とても躍動感がある文章が並ぶ。また、ときおり登場する彼の家族たちは、強く印象に残るはずだ。
「盲人である僕の『盲想』が作り上げた日本像と、実世界の日本を比べつつ、楽しんでいただければうれしい」とアブディン。笑わせられ、時にホロリとさせられ、そして元気づけられること必至の一冊だ。
(新刊JP編集部)
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