空港が完成するのに就航する航空会社が決まっていない。さてどうするか? 熊本県の解決策は自前の航空会社をつくることだった。現在、天草空港を拠点に熊本、福岡、大阪・伊丹に路線を延ばす「天草エアライン」は、第3セクターのコミューター航空だ。本書『島のエアライン』(毎日新聞出版)は、2000年の運航開始までの舞台裏から、たった1機の機材による綱渡りの運航など、「島民の翼」として成長してきた小さな航空会社のこれまでを描いた異色のノンフィクション・ノベルだ。登場人物はすべて実名。物語的な感動はないが、さまざまな危機や問題にどう対応するかという「経営の教科書」として読めば、最良のテキストになるだろう。
似たような航空会社がないわけではない。1961年にできた長崎航空(現オリエンタルエアブリッジ)や67年にできた南西航空(現日本トランスオーシャン航空)は、それぞれ長崎県と沖縄県が出資し、離島路線を維持している。生活路線として地域の足になっている。しかし、天草は66年に開通した天草五橋で九州本土とつながっているため、航空会社をつくっても補助金は出ない。天草の中心、本渡市から熊本市まで車で2時間以上かかるとは言え、県庁所在地から数時間かかる遠隔地など日本にはあまたある。なぜ、天草に「空港」が出来たのか。
著者の黒木亮さんは本書の第1章を「堤義明と細川護煕」と題し、書き起こしている。バブルのころ、ゴルフ場、ホテル、マリーナなど97施設をつくる協定を県、地元、西武鉄道で結び、リゾート法の適用も受けていた。空港建設はその前提だった。
ところが、バブルは崩壊し、リゾート計画は破綻したものの国の補助金を受け、空港建設だけは着々と進んでいたのだ。熊本県交通対策総室課長補佐(当時)の田山洋二郎さんら7人の県庁マンを登場人物に、「天草エアライン」の立ち上げ、機材の購入、パイロットの採用・育成、さまざまな免許の取得など、およそ空港の開業から一番機が飛び立つまで起こりうることに触れている。
その後も綱渡りのような資金繰りで地元信用金庫からの借り入れで急場をしのいだり、数少ないパイロットをLCC(格安航空会社)に引き抜かれたりと労苦は絶えない。何と言っても大変なのは機材が1機しかないことだ。現在の1日の運航ルートはこうだ。天草→福岡→天草→熊本→大阪→熊本→天草→福岡→天草→福岡→天草。できるだけ欠航がないように、整備には力を入れている。
2016年にそれまでのボンバルディアDHC-8-100からATR42-600に機材が変更された。そのたった1機の購入だけでも関係者には大変なことだった。「天草エアライン」存続の最大の理由は「地域医療への貢献」だったという。島外から天草の病院に通っている医師は40名を超え、その多くが福岡から天草エアラインを利用している。エアラインがなかったら医師の確保は難しいというのだ。
「採算合わず翼なく 天草空港、開港の見通し立たず」(朝日新聞)と開港前に書かれたが、その後の天草エアラインの業績は堅調で、本書によると「平成二十六年度は、乗客数七万七千五十六人、搭乗率五八・四%、就航率九六・一%、経常赤字一億五千八百九十二万円、純利益百二十一万円」という内容だ。
本書は「サンデー毎日」2016年10月から2018年1月までの連載をまとめたもの。著者の黒木亮さんは『巨大投資銀行』『ザ・原発所長』など経済小説を手掛けており、本書でも経済的分析の眼が光っている。主人公のいない無名の人たちが多数実名で登場する群像劇だが、読後感はさわやかだ。さすがその後に「くまモン」をつくりだした熊本県庁マンだと感心した。
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