残念ながらWBC日本代表は準決勝で敗退してしまいましたが、日本プロ野球はオープン戦のまっただなか。いよいよ野球シーズンの到来です。
ところで、日本プロ野球の名監督と聞いて誰が思い浮かびますか?
これまでプロ野球ではさまざまな名監督が活躍してきましたが、近年の名監督として必ず名前が挙がるのが野村克也氏(前・東北楽天ゴールデンイーグルス監督)と落合博満氏(前・中日ドラゴンズ監督)です。
この二人の選手時代の活躍や監督としての実績は説明するまでもないでしょう。しかし、その指導の手法は対照的です。
落合、野村両氏の下で現役生活を送った野球評論家・川崎憲次郎氏は、著書『野村「ID」野球と落合「オレ流」野球』(KKロングセラーズ/刊)で、この二人の戦い方や組織づくり、マネジメント方法の違いを取り上げています。
■長時間ミーティングの野村氏、ミーティングなしの落合氏
野村監督が春季キャンプ中の夕食後に、ほぼ毎日1時間半から2時間にもおよぶミーティングを行い、野球に関することから人生全般にいたるまでさまざまな話を チームの選手に聞かせることは有名な話です。
野村氏がヤクルトスワローズの監督になった当時、川崎氏はまだ高卒二年目の選手でしたが、ミーティングがはじまるなりホワイトボードにペンを走らせる野村氏に"一体何が始まるんだ"と戸惑ったと言います。
野村氏が長時間のミーティングを行ったのは、一つ一つのプレーに根拠を持たせること、つまり常に考えて野球をすることをチームに浸透させるため。野球におけるあらゆる状況で、どうプレーすべきかということを理論的に説明する野村氏に、川崎氏は目から鱗が落ちる思いだったそうです。
対して、ヤクルトから移籍した中日ドラゴンズで監督を務めていたのが落合氏。
落合氏は初日こそミーティングを行いましたが、以降はなし。
「プロならばわざわざ指示しなくても開幕を万全の体調で迎え、一年間乗り切るだけの体力に仕上げてくるはずだ」と選手を大人扱いしていたといいます。
その代わり、キャンプ中の練習量はすさまじいもので、まさに「体で覚えさせる」練習。早朝から日が暮れるまで投げる、捕る、打つ、走るを繰り返すという、シンプルで密度の濃い練習が続きました。
ただ、落合氏が選手に考えさせることを軽視していたわけではありません。キャンプが進むにつれ、選手たちは"なぜこんな練習をしているのか"と、練習自体の意味を考えるようになったといいます。
その意味では、落合氏も野村氏も選手たちを導く目的地は同じで、そのアプローチが違うだけだといえそうです。
■マスコミと距離を取る落合氏、利用する野村氏
両氏はマスコミ対応も対照的です。
落合氏は情報漏洩を嫌って、常にマスコミとは距離を置いていましたが、野村氏はマスコミをつかって対戦相手をかく乱するしたたかさを持っていました。
象徴的だったのが1995年の日本シリーズです。
野村氏が監督を務めていたヤクルトの対戦相手はパ・リーグを制したオリックス。前年に史上初のシーズン200安打を記録していたイチロー選手はその年もあわや三冠王という活躍を見せ、彼をどう抑えるかがシリーズのポイントでした。
オリックスと対戦するにあたり、野村氏は詳細なデータ収集を行い、自軍の投手陣に対して「内角高め」を攻めることを支持しました。その時に配布された資料には「極秘」と記されており、ことの重要性や緊張感を覚えたと川崎氏はいいます。
ところが、その「極秘」資料の内容が翌日の新聞で報じられてしまったのです。これにはヤクルト投手陣一同、声を失いました。
そしてシリーズ直前、一転して今度はイチローに対してアウトコースを攻めろと野村氏は命じます。「インハイ攻め」は野村氏の、自身のマスコミ露出度を利用した陽動作戦だったのです。
結果、イチローを封じたヤクルトが4勝1敗で日本シリーズを制したのは、記憶している人も多いでしょう。
本書には、プロ野球を語るうえで欠かすことのできない二人の名指揮官の下でプレーした川崎氏の視点で、落合氏・野村氏の強い組織づくりの手法とその考え方が紹介されています。
中間管理職やマネジメント層と重ねて語られることの多いプロ野球監督。対照的な両氏の手法を知って、優秀なマネジャー像が一つではないことがわかれば、悩める管理職の方々は気が楽になるかもしれません。
(新刊JP編集部)
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