CDなど音楽ソフト市場の売上とライブ・エンタテインメント市場の売上は、2014年に逆転したという。2000年代後半以降、CD市場が縮小し音楽を聴取する機会が多様化するに伴って、各地のフェス、コンサートなどライブ・エンタテインメント市場が音楽文化を牽引している。
本書『ライブカルチャーの教科書』(青弓社)の著者、宮入恭平さんは、1968年生まれ。立教大学、国立音楽大学ほかの非常勤講師を務める。自身かつてライブハウスに出演した経験をもつ社会学者だ。「音楽を楽しむこと」の意味は、どのように変わってきていて、そこにはどのような社会的・文化的な背景があるのかを解説した本である。
つまり、本書においてライブカルチャーは「目的」ではなく「手段」である。
第1部では、メディア、産業、法律、政治、社会、アイデンティティ、教育というテーマ、第2部では、アイドル、アニソン、ツーリズム、ライブハウス、ストリート、レジャーという具体的なトピックスに焦点を当てている。
「教科書」と銘打っているのは伊達ではなく、大学の学部で行われる半期の授業回数を想定し、全15章という構成になっている。
それぞれの章もテーマにかんする事例を扱った「導入」、その背景を探るための「歴史」、関連する問題を解釈するための「分析」、最後に導き出されたものを考察する「主張」という構成だから、わかりやすい。
第4章「政治」では、フジロック・フェスティバルから起きた「音楽に政治を持ち込むな」論争を紹介している。2016年7月、フジロックの脱原発を訴えるイベント「アトミック・カフェ」に元SEALDs(「自由と民主主義のための学生緊急行動」)の中心メンバーだった奥田愛基さんが出演した。奥田さんの出演が発表されると否定的な意見がSNSで拡散した。
これに対し、フジロックではさまざまな政治的主張がなされてきたし、そもそもフジロック開催の手本になったのは1960年代後半からのカウンターカルチャーの時代のロックフェスティバルだったという反論が出た。論争はしだいに「音楽に政治を持ち込むな」問題に収れんしていったという。
ここから著者は古代ギリシア時代からの音楽と政治の関係、東日本大震災後に起きた脱原発を訴える音楽作品をめぐる論争を紹介。「音楽が政治的なものなのか、それとも中立的なものなのかという、二者択一ではとらえられないものだと理解する」べきだ、とし、この問題が露呈したのは、音楽は政治的なものだという「神話」と、音楽は中立的なものだという「幻想」だったかもしれない、と結論づける。
また2011年の3・11がまさにCDからライブへ音楽産業がシフトしつつある時期に起こったと指摘する。無味無臭、無色透明が「最大公約数」として受け入れられていた、消費財としての音楽は、3・11によって問い直されることになったと、書いている。
一方、音楽が政治と親密になりすぎる危険性にも言及。風営法の改正をめぐる一部のラッパーの動きは、夜間経済の活性化をめざす自民党に利用される危険性があると警告する。
ほかのテーマでも「導入」「歴史」「分析」「主張」という構成は手堅く貫かれている。だから、ポール・マッカートニーの日本武道館公演の高額チケット(「産業」)、NHK全国学校音楽コンクール(Nコン)とJ-POP問題(「教育」)、西城秀樹が亡くなる1か月前に「同窓会コンサート」に出演していたこと(「アイドル」)、動画投稿サイトから世界的な大スターになったジャスティン・ビーバー(「ライブハウス」)など、キャッチ―な話題から自然と今の音楽状況を考える仕組みになっている。教科書としても優れたつくりに感心した。もちろん一般の読者も興味を持ったところから読めば、音楽をめぐる最前線の動きや議論にふれることができる。
宮入さんにはほかに『ライブハウス文化論』(青弓社)、『J-POP文化論』(彩流社)などの著書がある。
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