お店のスタッフにいきなり怒鳴り散らかしたり、理不尽な要求をしたり、脅しまがいのことをしたりするなど、社会問題となっているモンスタークレーマー。
いくら問題になろうとも、そのエピソードは後を絶たない。特に教育の現場では、保護者から常軌を逸した要求やクレームが教師に浴びせられ、教師は心を病んでしまうというケースも少なくない。
保護者なら教師に向かって何を言ってもいいということなのだろうか。
神奈川県の公立小学校の教諭である齋藤浩氏が執筆した『教師という接客業』(草思社刊)には、目を疑うような数々のエピソードの収録されている。
例えば、運動会で中学年の徒競走が行われた。保護者たちは自分の子どもがゴールテープを切る瞬間をカメラに収めようと必死である。そして、子どもたちがゴールに駆け込んでくる、そのときだった。
「どけ、ブタ!」
一人の保護者の罵声が聞こえた。その声はゴール付近で決勝審判をしている女性教師に向けられていた。女性教師はすぐに身体を屈ませた。その声が耳に届いていたのだろう。
理不尽なことをされても、言い返すことができない。本書に書かれている教師の現実はこれだ。
ある学校でリレー選手の選考が行われた。全員無事に走り終え、代表も決まった。しかし、その日の夕方、電話で「ウチの子がリレー選手になれなかったのは、履いていた靴が悪かったからだ」とクレームが入った。事前にリレーの選考をすることも伝えていたのに...。
最終的に再選考で何とか収まったそうだが、「もしその結果、再びクレームが来たら」というところまで考える余裕はなかったようだ。
全ての保護者がそうではないにしても、教師にワガママを言えば受け入れてくれる。要望を言えば聞き入れてくれると考えている人は少なくない。
一方学校側も「我が校は問題ありません」と良いイメージを与えることに必死だ。学級通信では良いことばかりに触れる。一方で悪いことには触れない。忘れ物の多さ、言葉遣いの乱れ...。
なぜそうなるかというと、それは全て教師の責任になるからであると齋藤氏は述べる。「ご家庭で、しっかりしていただかなければ困ります」と言うのは難しい。子どもを叱れば「パワハラ」だと言われる可能性もある。教師が「悪いことを悪い」と言うのが難しい時代になっているのだ。
教師たちが保護者に目を向け過ぎている状況は、子どもが主役であるはずの授業参観にもあらわれる。前日には教室内の掲示物の見直しや徹底した掃除が指示される。子どもたちには「いつもと違うね」と言われてもいい。保護者にちゃんとしていることが伝われば、意味があるのだ。
「サービス業」化してしまった教師を、元の教育者に戻すことは可能だろうか。『教師という接客業』の最終章のテーマはまさにそれだ。
しかし、これもなかなか難しい課題が転がっている。
「学校の主役は子どもである」という軸をブレさせない覚悟が必要だと齊藤氏は述べているが、その分、反発されることも多くなる。苦情にも必要であれば反論し、遠慮なく注意をするといったことができればいいが、そこにはまさに「覚悟」が大事になる。
本書には、今の教師がおかれている状況がまとまっているとともに、学校側の意識の変化が分かりやすく読み取れるようになっている。現場に立っている小学校教諭が書いた、教師たちの苦悩を垣間見ることができる一冊である。
(新刊JP編集部)
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