今もっとも過酷な仕事は「教師」ではないだろうか。
いじめなや体罰が度々問題となり、「教育はすべて教師の仕事」とばかりに躾まで丸投げする親もいる。
もちろん、体罰は許されるものではないが、教師とて「聖職者」ではない。この状況で、教師とはどうあるべきなのか?
『「プロ教師」の流儀―キレイゴトぬきの教育入門』(諏訪哲二/著、中央公論新社/刊)では、学校教育における「常識」や「キレイゴト」を根本から検証しながら、「教師のあり方」を探っていく一冊。それによると、今の時代に「プロ教師」として生きていくためには、こんなことが必要になるという。
■「教師だから“教育がわかっている”と思わないこと」
教師にわかっているのは「教師にとっての教育」である。うまくいってもそれしかできない。学者にとっての教育、教育行政にとっての教育、親にとっての教育、子どもにとっての教育はそれぞれに違う。いずれにしても、教師は教育内部にいるので教育を客観視できない。
■「教師と生徒は“人”として対等であることを深く心すべし」
教師と生徒の上下性は「共同社会」における役割的な上下関係であるにすぎない。教師は生徒を「ひと」として尊敬していなければならない。「ひと」としては同じ格であることをいつも自覚しているべきである。
■「生徒を自分の思いどおりにしようとしてはいけない。生徒を教師である自己と同一化しようとしないこと。生徒は決して教師の“思いどおり”にはならない。必ず、自己創出性によって別のものになると考えるべきである。生徒は必ず教師から離れていく」
生徒は他者であるという認識は、教育業界のみならず、日本人の思想風土に欠落している視点である。生徒を教師に「似せよう」としないことである。
モンスターペアレント、体罰、いじめ・・・教育現場での問題は多い。一昔前とは時代も変わっている。教師バッシングもある中、「教師のあり方」とは、どうあるべきか。教師はもちろんのこと、親も理解しておくべきことなのだろう。
(新刊JP編集部)
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