新型コロナウイルスの感染者が日本でも急増の一途をたどるなか、4月7日、政府は緊急事態宣言を発令した。科学が発達した現代で、ウイルスが人間の生命と生活にこれほど打撃を与えることなど、だれが想像したであろうか。
ただ、どれほど医療や製薬技術の発達したところで、未知のウイルスに対して人間は常にもろい存在なのだ。古くは中世ヨーロッパで猛威を振るったペスト、天然痘、結核......。近年ではSARSやMERS、そして2009年にアメリカで発生した新型インフルエンザの悲劇は、記憶に新しいだろう。
人類の歩みはウイルスとの闘いの歴史でもあり、感染症の流行によって、文明は常に大きな転換を迫られてきた。ウィリアム・H. マクニールの名著『疫病と世界史』(中央公論新社刊)は、私たちにそんな教訓を伝えてくれる。
15世紀から16世紀にかけて南米大陸で一大文明を築いたアステカ帝国は、スペイン人の侵略によって滅びたと言われている。だが、当時、人口数百万人を誇るアステカ帝国に対して、侵略したスペイン側はわずか600人足らず。いくらスペイン人が馬や銃を持っていたとしても、それだけの人数で短期間のうちにアステカを滅亡させることができたのであろうか。
マクニールは、この滅亡劇の裏にあった疫病の存在を指摘する。「天然痘」だ。
スペイン人によってもたらされた天然痘は、このウイルスに対して免疫のないアステカ人を直撃。アステカの全住民の三分の一か四分の一が死ぬほどの大惨事となった。
この疫病がもたらしたのは、アステカの国力減退だけではない。自分たちが未知の病になすすべもなく苦しむ一方、スペイン人たちはいたって健康である。この事実はアステカ人たちの目に、「神はスペイン人の側についている」と映ったに違いない。結果、アステカ人は古くから信じてきた土着の神まで捨てキリスト教に改宗することになった。たったひとつの疫病の存在が巨大文明を滅亡へと導いたのだ。そうマクニールは結論づける。
アステカ帝国に限らず、天然痘はヨーロッパでも多くの死者を出した。この病気への対応で後の数世紀にわたって明暗を分けた国がある。イギリスとフランスだ。
イギリスでは1721年、天然痘への対策として「種痘」がヨーロッパでいち早く導入された。「種痘」とは、天然痘患者からとった膿を健康人が接種し免疫をつけるという、現代の予防接種につながる医療手法である。当時ヨーロッパでも後進国だったイギリスで、なぜこのような天然痘対策が早期に実現できたのだろうか。
国内で天然痘が猛威をふるっていた1700年、イギリスで唯一の正当な王位継承者であったアン王女の息子が、天然痘で亡くなるという悲劇が起きたのだ。イギリス国内では深い悲しみとともに、天然痘への強い危機感が生まれ、「種痘」を積極的に受け入れることになった。結果、死者数を大幅に減らすことに成功したのだ。
一方、当時の大国・フランスはどうだったか。ヨーロッパの大陸側では「種痘」に対して、「神の御意志への干渉」、「健康な人びとの間に危険な流行病をいたずらに広げるもの」という偏見が大きく、導入が進んでいなかった。結局フランスでも、ルイ十五世が1774年に天然痘で亡くなるまで、種痘への組織的な抵抗が残っていたという。イギリスに遅れること、50年が経過していた。
この対応の差はそのまま死者数の差となって表れ、人口、つまり国力の差につながってゆく。世界史をひもといてみると、このころから大英帝国は海外での隆盛の道を進む一方、フランスは静かに勢力を失墜していることがわかる。天然痘への対応が、両国の明暗を分けることになったのだ。
◇
ウイルスや疫病への対応が、その後の国の行方を左右するということは、歴史が証明しているまぎれもない事実である。
今回のコロナ禍を見ても、世界的な対応はさまざまだ。人的被害や経済へのダメージを最小限にとどめ、いち早く社会を元の状態に戻せた国は国際的な影響力を増し、遅れた国は今後数十年にわたって国力の低下に苦しむことになるだろう。
本書からは、人間といえども地球の自然の一部でしかないこと。それゆえに、常にウイルスをはじめとした環境の影響を受け続けざるをえないことを、強く印象づけられる。
今まさにウイルスという自然の脅威にさらされている日本はこの先、どのような道を辿ってゆくのか。大きな岐路に立たされているいま、過去の歴史から学ぶべき一冊ではないだろうか。
(新刊JP編集部)
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