経営者という仕事は、なかなか実態が見えないものである。
華やかな舞台に立ち、ビジョンを語る人たち――ソフトバンクの孫正義氏であったり、ZOZO前社長の前澤友作氏であったり――は決断力があり、失敗してもへこたれず、夢に向かって邁進していくという、カリスマ性をもった理想的なリーダーとして私たちの前に立ち現れる。
パナソニック創業者の「経営の神様」松下幸之助はじめ、焦土と化した日本の戦後復興の象徴でもある、「ホンダ」本田宗一郎や「ソニー」盛田昭夫たちも、美しく勇ましい数々の伝説が今日にいたるまで語り継がれているが、一方でそういう「神話」に異をとなえるジャーナリストが書いたノンフィクションが数多くある。
経済記者が覆面作家・梶山三郎氏となって書いた『トヨトミの野望 小説・巨大自動車企業』(講談社刊)は、「99%実話」との噂が流れ、その衝撃的な中身で大きな話題を呼んだ。
トヨトミ自動車は、つまりトヨタ自動車であり、作中登場するトヨトミ創業家の豊臣新太郎・統一親子は、トヨタ自動車の豊田章一郎名誉会長と豊田章男社長、たたき上げの社長・武田剛平は、奥田碩氏がモデルで、豊田家と奥田氏との確執などトヨタの「奥」が赤裸々に描かれたため、「名古屋界隈の書店から本書はすべて消え」「小説を偽装したノンフィクションではないかと世間を騒がせた」(夏野剛氏の小学館から刊行された同書・文庫版解説より)のである。
『トヨトミの野望』にはこんなことが描かれている。
愛知県に本社を置く巨大自動車メーカー「トヨトミ自動車」は創業以来の危機を迎え、会長・豊臣新太郎は、フィリピンに左遷されていた社員の武田剛平を社長に抜擢し、一気に世界一の大企業へと駆け上がっていく。
その後、武田は、豊臣家と会社の経営を分離する「持ち株会社構想」を企てる。しかし計画が事前に新太郎に知られるところになり、失敗。やがて「親の七光り」と陰口を叩かれていた新太郎の長男・豊臣統一が社長に就任する......。
当時、梶山三郎氏はインタビューで、トヨタについてこんなことを語っている。
「創業家である豊田家の持株比率というのは、わずか2%ほどに過ぎません。しかし、実際には豊田家の本家がいまでも厳然たる力を持っています。奥田さんは、そんな豊田家のあり方についても言及した、めずらしい経営者でした。そうした経緯もあって、実はトヨタが制作している『トヨタ自動車75年社史』からも、奥田さんという経営者の存在はほとんど消されているのです。また豊田章一郎名誉会長の半生について、日経新聞の紙面上に掲載された連載『私の履歴書』でも、奥田さんについてはほとんど言及されませんでした。ある意味で豊田家は、トヨタの歴史を作り変えようとしているのではないでしょうか」(NewsPicks「トヨタを騒然とさせる『覆面作家』の独白」)
梶山氏は、小説を偽装して、創業家が語る「神話」の裏側を描こうとしたのかもしれない。そんな『トヨトミの野望』の続編となる『トヨトミの逆襲』(小学館刊)が刊行され、こちらも、名古屋の主要書店のほかに、東京の丸善丸の内本店でも文芸書の売上第一位になるなど早くも世間を騒がせている。
前作では、主人公はサラリーマン社長の武田剛平だったが、今回の主人公は、なんと創業家の御曹司・豊臣統一。しかも話は2016年からはじまるから、まさに「今」を描いている。
物語は、その統一社長と、取り巻きで曲者ぞろいの役員たちの人間模様が綾になって進んでいく。
"大老"と呼ばれる70歳を過ぎた副社長・林公平、統一の古くからの側近、寺内春人、役員人事を牛耳る笠原辰男......。とくに林はこの小説の核をなす人物であり、老獪なやり方でトヨトミ自動車での「陰の社長」として権力をふるいだす。
おそらく、これらの人物――もっといえばすべての主要人物について、「あの人がモデルなのではないか」と、トヨタ自動車や、一次、二次、三次とすそ野の広い下請け企業の関係者なら、ピンとくるのだろう。
物語の舞台は、現実と同じ。CASEとよばれる、百年に一度の大波にゆれる自動車業界だ。
CASEとは、C=コネクティッド(IoT、クルマがネットでつながる)、A=AIによる自動運転、S=カーシェアリング、E=EV電気自動車のこと。主役は自動車企業ではなく、ITの巨大企業たち。彼らが産業の垣根も国境もこえて、既存の自動車業界になぐりこんできているのだから、たいへんだ。CASEにパラダイムシフトすれば、もはや、複雑な内燃機関であるガソリンエンジンまわりの数々の部品を納入する下請け企業は淘汰されていく。
当然、話の筋はしんらつだ。創業者一族に生まれ育った「お坊ちゃん」ではあるが屈折した性格を持ち、「裸の王様」になっていく統一の周囲では、側近たちが権力闘争を繰り広げる。そして、完全に遅れを取ってしまったEV(電気自動車)開発。そこに異業界からのEV参入とサプライヤーの反目。日本を代表する自動車メーカーが窮地に立たされていく様はスリリングのひと言。
私たちが知っている経営者たちの顔はあくまで表の顔であり、次々と襲い掛かる困難や試練の裏では感情が激しく揺れ動き、人間としての弱さに振り回されているのだということにも気づかされる。
組織も同様だ。誰もが知る一流企業であっても、ドロドロの権力闘争が繰り広げられていることなど、珍しくもないだろう。この小説は、薄皮一枚で組織が機能不全に陥るのを食い止めている、あらゆる企業のぎりぎりの経営努力の現場が描かれている。
本作は読者がどのような位置から読むかによって印象が大きく変わる一冊だ。統一の人間性に着目しながら経営者としての成長を楽しむこともできるし、下請け企業のヒーローとして登場する森製作所の森敦志の視点で読むとまた味わい深い。自動車業界を知らずとも、多様な視点で読むことができる。
本作の終盤には未来のトヨトミ自動車と、統一の姿が描かれる。トヨトミは組織としての難局をどう乗り越えようとするのか。超問題作の結末を見てほしい。
(新刊JP編集部)
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