「北陸の強さ」は想像以上だ。
2015年の北陸新幹線の開通でにわかに注目を集めた北陸だが、もともと地力がある地域である。共働き率と出生率では全国平均を上回り、幸福度や世帯収入も高い。また、全国学力テストでトップを獲得する福井県の教育は政府から希望の芽とされ、富山県富山市のコンパクトシティは世界から注目を集める。その強さは一体どのようにして生まれたのか?
『Forbes JAPAN』副編集長兼シニアライターでノンフィクションライターの藤吉雅春さんが上梓した『福井モデル 未来は地方から始まる』(文藝春秋刊)は、富山県富山市や福井県鯖江市への入念な取材をもとに書かれたルポであり、北陸の強さを深く理解できる一冊だ。
今回、新刊JPは『福井モデル』のオーディオブック版配信に際し、藤吉さんにインタビューを敢行。本の全貌についてお話をうかがった。
(取材・文:金井元貴)
■地味だけど“最強” 福井はなぜ幸福度が高いのか?
――この『福井モデル』では、地方再生の鍵を握る町として、特に福井県鯖江市の事例を挙げられています。藤吉さんはなぜこの福井という土地に注目したのでしょうか。
藤吉:いくつかあります。まず、橋下徹前大阪市長が掲げた大阪都構想の取材中に、お世話になっていた大阪府の学校の先生方から「福井県の教育は非常に素晴らしい」ということを聞いたんです。大阪府は「全国学力テスト」の成績がかなり悪く、その先生方が一生懸命良くしようと努力されていたのですが、その方々から福井の教育は素晴らしいので、福井を視察されたらどうかと提案されたんですね。
また、それとはまったく別の取材の時に、文部科学省のキャリア官僚が「日本がより良い未来をつくれるかどうかは、福井にかかっている」と言っているのを聞いて、「また福井だ」と。
さらにまた別の取材でGoogleに行ったときも、福井県鯖江市がIT化の進んだ都市として世界から注目を集めていると聞かされたんです。
―― いろいろなところで福井という土地に注目が集まっていたんですね。でも、福井県のイメージというと、どうしても「地味」という言葉がついてきます。
藤吉:実は私もそれまで福井に大きな関心を寄せたことはなくて、「福井はすごい!」と言われてもピンとこなかったんです。でも、実際に調べてみると、全国学力テストでは常にトップを争っている(*1)。また、体力テストもトップですし、勤労者世帯の実収入ランキングでも1位(2010年)なんです。
――世帯収入は東京ではないのですか?
藤吉:私自身、意外に思ったのですが、2010年に東京は福井に次いで2位です。さらに47都道府県の幸福度指数も常に1位。これは一体どういうことだろうと思ったのが発端ですね。
――福井の強さの原点は一体なのでしょうか。
藤吉:「恵まれていない」ということだと思います。世界的に見て発展する町は、人々が知恵をしぼって助け合っているというケースが多いんです。この本では鯖江市の他に富山県富山市の事例も掲載していますが、この2つの土地はいずれも豪雪地帯で、中央からもやや離れています。また、石川県に比べて貧しかったという歴史的背景があり、常に悔しさを抱えている。自然環境の面でも、産業の面でも厳しい場所だったので、自分たちで産業を創出するという発想になったのでしょうね。
――「越前商人」と呼ばれるように福井はそもそも商売が得意ですよね。それが現代の中小企業や社長の多さにつながっていると思いました。
藤吉:経営者が多いというよりはリーダーがたくさんいるといったほうが面白いかもしれませんね。普通なら立派な政治家が強力なリーダーシップを発揮し、国を動かして豊かにすると思いがちですが、取材を進めていくうちに果たしてそれは本当なのかと思うことがありました。
鯖江市や富山市の市長にもお話をうかがいましたし、お二人ともリーダーシップを持った素晴らしい市長でした。ただ、それと同時にこの2つの土地に住んでいる人々、つまりリーダーについていく人たちのフォロワーシップも素晴らしいんです。例えば富山市では市長の海外視察のお金を、市長の個人後援会の人々が出しています。つまり税金を使っていないんです。市民が市長を使って良い町をつくろうとしているわけですね。
――コンパクトシティの成功例としても富山市は非常に注目を集めていますよね。この本でも一章分使って富山市について書かれていますが、やはりまちづくりの先進を行っています。その原動力は一体どこにあるのでしょうか。
藤吉:「富山の薬売り」を知らない人はあまりいないと思いますが、実は、もともと薬売りが盛んだったわけではなく、貧しい暮らしを余儀なくされていた富山藩藩主の前田正甫が、領内の人々に健康になってほしいと思って、大坂から薬作りを呼んで丸薬を作らせたのがきっかけです。
その後、たまたま参勤交代で正甫が江戸城にいたときに、別の藩の殿様が腹痛を起こして富山の丸薬を与えたところ、すぐに快復し、他の藩主の間でも評判になって、政策が開花したという逸話が残っています。その後、正甫は富山で製造した薬を藩の外に出て行商できる許可を与えました。
――本書にはその先の「富山の薬売り」がやっていたのは、薬を売ることだけではないということが書かれていてとても驚きました。
藤吉:そうなんです。全国に散らばった富山の薬売りが富山藩に持ち帰ったものは各地域の情報でした。○○藩は何が不足している、課題がある、ほしがっている…。つまりはマーケティングです。詳しくは本を読んでほしいのですが、富山の薬売りの暗躍が、巡り巡って江戸幕府が倒幕される布石にもなっています。
当時としては非常に先進的な仕組みだったのですが、発想自体は「困っている人がいたら助けましょう」という精神からきています。ずっと貧しかったからこその発想ですね。
――最初にお話した「恵まれていない」環境があったからこそ、薬売りが藩の外に出て商売をできるようにしたんですね。
藤吉:福井県鯖江市には繊維とメガネ、漆器という有名な伝統産業が3つもあります。それはなぜかと思って調べたら、イタリアとスイスの国境地帯の町とよく似ていることが分かりました。雪深い山間の村では、職業の選択が少ないんです。冬は何もできなくなって、家に籠るだけになってしまいます。
そこで発達するのが家内制手工業で、時計作りであったり、メガネ作りであったりという手作業でできる産業が盛んになります。できることが少ない、不自由であるということはつらいことだと思いますが、その中で、何を発展させられるのかを住んでいる人たち自身が考える。世界的に見ても、地理的に厳しく寒い地域は独自の産業が発展していますね。
――不自由であるほうが知恵を働かすようになる。
藤吉:最悪な環境であるほど、最善のアイデアを生み出せるんですね。農家や大工といった人たちが、雪深くて作業ができない時期に技術を習得し、世界でも有数のメガネの産地になっていったという鯖江のストーリーは多くの示唆を私たちに与えてくれると思います。
■いち早く中国にやられ、いち早く変化した鯖江
――ただ、そのメガネ産業も中国の進出で落ち込んでいきます。
藤吉:そうなんですよね。1990年代のことです。価格競争になると、中国産の安いメガネには到底勝ち目がない。ただ、そこですぐに立ち上がったのが鯖江です。メガネを製造するための工程は200以上あるのですが、そこで培ってきた技術を使って、新しい産業を創り出そうとします。それが巡り巡って現在の「オープンデータシティ」につながっていくわけですね。
――日本人は変化に弱いと聞きますが、その対応の早さは見事ですよね。
藤吉:私自身、『Forbes JAPAN』というビジネス誌を編集する中で、日本は変化への対応が遅いと感じます。島国という理由もあるのかもしれませんが、危機感が薄い。そういう意味では、鯖江や富山は「早くから負けている」経験を生かしているように思います。
これはアメリカの企業でもよくいわれますが、失敗は早めにすることが重要なんです。早めに失敗をすれば、早く間違いに気づくことができて、改善できる。とにかく失敗と改善を積み重ねていくことが重要で、失敗しないことのほうがおそろしいと思います。
もしかしたら、こういうことは地方のほうが敏感なのかもしれません。鯖江の人たちは「日本で最初に中国にやられた町」というけれど、逆に「早めにやられてよかった」とも言えます。
(*1)2015年度の全国学力テストでは、中学校の全科目平均で1位だった。
<後編は2月5日配信予定>
■藤吉雅春さんプロフィール
1968年佐賀県生まれ。「週刊文春」記者を経て、ノンフィクションライターとして独立。2011年に一般財団法人「日本再建イニシアティブ」の民間事故調「福島原発事故独立検証委員会」ワーキンググループ参加。著書に『ノンフィクションを書く!』(ビレッジセンター出版局)など。文化放送『福井謙二グッモニ』火曜日コメンテーター。2014年に創刊した『Forbes JAPAN』副編集長兼シニアライター。『福井モデル』は今年、韓国でも出版される。八重洲ブックセンターノンフィクション部門2位(2015年6月第三週)、amazonの政治社会分野で最高位2位、地域開発分野で最高位1位。
■『福井モデル』オーディオブック版配信ページ(FeBe内)
http://www.febe.jp/product/232569
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