「芸人報道」「アメトーーク!」などで自身のアルバイト(主に過酷な肉体労働)のエピソードを語り、話題となったソラシド・本坊元児。そんな本坊さんの壮絶なバイトの日々が“自伝的小説”として書籍化された。
タイトルは『プロレタリア芸人』(扶桑社/刊)だ。
生い立ちからはじまり、大阪時代、上京してからの壮絶なバイト(肉体労働)の日々、お金がなく同期の芸人から借金をすることも。そして売れてゆく仲間たちに対する羨望と焦り。「テレビ出演回数よりギックリ腰の回数が多い」という“崖っぷち”の本坊さんの、魂の叫びがつまった一冊。ブレイクできない芸人の苦悩と日常…その焦燥感と絶望感が、小気味の良い文体とともにつづられている。
今回、新刊JPは本坊さんにインタビューを行い、『プロレタリア芸人』についてお話をうかがった。
(インタビュー・構成:金井元貴)
■普段、お世話になっている人たちにこの本を読んでほしい
――本坊さんにとって初めての書籍になる『プロレタリア芸人』ですが、手にとっての第一印象はいかがでしたか?
本坊さん(以下敬称略):めちゃくちゃ嬉しかったですね。本を出すなんて、一生に一度あるかないかのことですから。僕のような燻っている芸人に本を書かせてくれた扶桑社さんの懐のデカさに感謝しています。
今のところ芸人としての仕事が少ないので、同期の麒麟の田村君のように、この本をきっかけにできたら…。でも、彼らはネタもしっかりしていたし、「同じようにいくかい」というお叱りの言葉を受けそうですけれど。
――ツイッターでは芸人仲間の皆さんがこの本について告知してくださっていますよね。相方の水口さんがぼんちきよしさんにツイッターで「20冊買ってくださいね!!」とつぶやいていたのを見ました。
本坊:そうなんですよね。しかもお金持っていない先輩に言っていたので…。
――水口さんや、同期で仲の良い麒麟の川島さんからはどんな感想を?
本坊:この本が僕の手元に届いたとき、夜中に川島のところに持っていったんですよ。
――川島さんもそのことをツイッターでつぶやかれていましたね。
本坊:あの日は元から飲もうという話があって、そこにちょうど本が届いたので川島のところに持って行ったんです。
川島はこの本を読みながらゲラゲラ笑っていましたね。特に序盤には川島とのエピソードもたくさん書いていて、「これは忘れてたわ」とか「水口は呪われてたんだな」とかそういう話をしながら。
知り合ってすぐの頃、川島が喫茶店のアルバイトの面接から帰ってきたら「店長がヤクザだった」と言うんですよ。話を聞くと、その店長がえらい強面なのにとても優しい人だったので、「こんなに気前がいいのはヤクザに決まっている」と。それで僕の家にくまっていたんですね。このエピソードを完全に忘れていたみたいで、「2週間くらいお前(本坊)の家にいたよな」とそんな感じで盛り上がりましたね。僕もよく自分で思いだしたなあと思ったのですが。
――水口さんからはどんなコメントが?
本坊:水口の奥さんが読みたいと言っているみたいなんですが、僕、この本で水口のことをボロクソに書いていて、なかなか読ませにくいんですよ(苦笑)。水口のことは持ち上げて、持ち上げて、最後に落とすみたいな感じで書いているので。「今度(本を)持っていくわ」と言っているんですけどね。
――他にこの本を渡したい芸人さんはいますか?
本坊:めちゃくちゃお世話になっている方がたくさんいるので、皆さんに渡したいです。
その中でも、帯にコメントを頂戴した千原ジュニアさん。年末年始のお忙しい時期にお願いしましたが、とてもありがたかったです。あとはロザンの菅さんですね。菅さんは僕が前に書いていたブログをずっと読んでいてくれて、「(ブログ)おもろいな。今は無理だろうけど、いずれ仕事になると思うわ」と励ましていただいたことがあって。
僕はブログでもアルバイトのことばかり書いていたのですが、そのたびに「芸人やめろ」とか「俺の方がしんどい生活をしてる」といった攻撃的なコメントが書かれていたんですね。それで、こんな嫌なコメントがつくんだったらもうブログをやめようと思っていたのですが、菅さんに「これは絶対におもろいから続けたほうがいい」と言われて、もう一回踏ん張ってみて、それがこういう形で本につながったので。
菅さんにはまだお渡しできていないのですが、「形になりました」と言って渡したいです。
■トラウマと化した過酷な現場と衝撃の一言
――毎日のように肉体労働をされていて体も鍛えられているのではと思っていたのですが、実際お会いするとものすごく華奢なんですね。
本坊:そうなんですよ。体力には全く自信ないです。今は腰を痛めてバイトを休んでいるのですが、本当にようやっていたなという感じですよ。周囲は腕力だけで持てるものを、僕は腰とか肩で担がないと持てないですから。
―― 一番きつかった作業はなんですか?
本坊:派遣のバイトをはじめて1週間くらいのときに行った、麹町の現場のガラ出しですね。
「ガラ」という砕いたサッカーボール大のコンクリートを運ぶ仕事なんですが、もう地獄です。普通は「ネコ」と呼ばれる一輪台車でガラを運ぶのですが、ちょうど通路に4段くらいの階段があって、そこはバケツリレーをするんですよ。リレーなんで休むこともできへんし…。マラソンをずっと走ってきて、ゴール手前の一番きついところがひたすら続く感じですね。
何度も逃げ出しそうになりました。終わりが見えないというか、ここの工事はいつまでやるとかそういう日程が分からないまま働くので、めっちゃ不安になるんです。いつまでこの岩を運ぶのやろと。いまだに麹町駅に行くとちょっと嫌な気持ちになります。
――それはもうトラウマですね。
本坊:トラウマです。本の中にもそのエピソードを書いたのですが、もっと自分に文章力があれば、そのキツさがちゃんと伝わるのに、と思いますね。
――派遣の肉体労働から大工までいろいろな現場で仕事をされてきましたが、その現場で聞いた言葉の中で最も印象的なのは?
本坊:25、26歳くらいの若い子だったんですが、すごく無口で、でも現場に真っ先に行くような子で、少しずつ仲良くなっていったんですね。それで、飯を食って現場に戻るときに、怖い職人たちがいる中で、誰に言うでもなく、ボソッと「死ねや」とつぶやいたんです。真面目だと思っていた子が、鋭い目つきでボソッとそう言い放ったのが、可笑しくて少し笑ってしまったんですよ。その子には何も言わなかったけれど、気持ちは分かりました。
(後編「“ソラシド・本坊元児”、芸人としての苦悩を語る」に続く)
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