スポーツの世界でしばしば注目を集めるのが禁止薬物の使用、つまり"ドーピング"だ。
最近では、アメリカ・メジャーリーグでの蔓延が大きな話題となっているドーピングだが、なぜこれは"いけないこと"とされているのだろうか?
「臓器移植」「脳死」など、私たち人間の"命"にまつわる、答えの出ない問題を取り上げている『マンガで学ぶ生命倫理』(児玉聡/著、なつたか/画、化学同人/刊)を読むと、一概に「ルールだからダメ」と片づけられない、ドーピング問題の背景が見えてくる。
■ドーピングはなぜいけないのか?
治療目的で開発された薬や医療技術を能力の改善を目的に使うことを「エンハンスメント」と呼び、かねてから倫理的側面で議論を呼んできた。
この定義にあてはめると、スポーツにおけるドーピングも一種のエンハンスメントであり、広く解釈するなら美容整形や、眠気覚まし・集中力向上の目的で薬を摂取することもエンハンスメントといえる。
こういったことを踏まえると「何がドーピングで、どこからがドーピングか?」という線引きは非常に難しい。
アメリカを中心に学生や研究者が集中力を高める目的で、リタリンやアデロールという、元々は治療目的で開発された薬を服用するのは珍しいことではない。そのため、スポーツと同じように公平さが求められる学業でこのようなことが行われているのに、なぜスポーツではダメなのかという意見は当然出てくるはずだ。
また、そもそも経済状況や環境によって練習をする施設や道具に優劣が生まれている現状を認めているのに、スポーツは公平でないといけないとするのは偽善的ではないかという意見にもある程度の正当性がある。そもそも公平ではないのに、公平を期する理由でドーピングを禁止するのはおかしい、というわけだ。
もちろん副作用の有無など他にも考慮すべき点はあるが「ドーピング禁止」の土台は決して安定しているわけではないのである。
エンハンスメントの技術が今後も進歩し、スポーツでのドーピングもなくなることはないだろう。
エンハンスメントは自分の本来の力を別の何かによって補強するものである以上、その進歩は「努力」や「訓練」といったことの定義を揺さぶるはずだ。
エンハンスメントは是か非か。是だとするならどう使うべきか、という議論を今からしておかないと、誰も望まない社会がやってくると、著者の児玉氏は言う。
本書には、私たち自身が考えて、自分なりの意見を持っておくべき、生命倫理の問題が、わかりやすくマンガで紹介されている。
正解のない問題こそ考えることが大切。
本書が我々に投げかけるものはとても大きく、重い。
(新刊JP編集部)
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