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日本人アカデミー賞アーティストに伊藤若冲との奇縁あり

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顔に魅せられた人生

 今年3月発表された第90回米アカデミー賞で、日本人初の「メイクアップ&ヘアスタイリング賞」を受賞した辻一弘さんは、同賞受賞前から米映画界では広く知られた特殊メイクアップアーチストだった。オスカーを手にしたときにはすでに、CGの特殊効果が優勢になったハリウッドとは距離を置き、現代美術家にとしての歩みを始めていた。

 本書『顔に魅せられた人生』(宝島社)は、アカデミー賞受賞を機に出版された辻さんの半生記。幼いころから恵まれているとはいえない環境で暮らしながら、それを自分で積極的に働きかけて変化を呼び込み、コツコツと努力を重ねて独学で技術を開発、そして才能の花を開かせ「夢」を実現させたという。元NHK職員の知人で、米在住のフリーテレビディレクター、福原顕志さんによるインタビューをもとにまとめられた

受賞で劣等感やわだかまりが解消

 辻さんは京都生まれ。住まいは、同市の中心地にあり京の台所」と呼ばれる「錦市場」。父親が同市場の魚屋で働いていた。母親は、実家が京都の菓子の老舗だったせいか「プライドの高い人」であり、父親とは恋愛の末に一緒になったものだが、2人の育ちの違いなどから「最初から歪みを生じていたのだと思う」という。

 両親だけではなく、両方の親類らにもなじめず唯一心許したのは父方の祖父だけ。「他は変にプライドが高くて、きつい性格の人ばかり。京都の人はプライドが高く、裏表が激しいとよく言われるが、まさにその典型だった」という。なぜ大人は平気でウソをつくのだろうと辻さんの悩みは深まる一方だった。

 父方、母方どちらの親戚のなかでも従兄弟のなかで最年少だった辻さんは、両親や姉などの家族の間でばかりか親戚からも認めてもらえず、ずっと人の目を気にするようになっていた。こうした環境や人間関係から、大人たちの本当の感情を読み取るために表情を観察する癖が徐々に身に着くように。学校も母親のプライドのせいで家から離れた宗教系の学校に送られ、近所に友達もおらず一人で昆虫の観察やモノづくりに熱中するようになる。これら幼少期のことがアカデミー賞受賞の土台となるわけだが、同時期から続いていた劣等感やわだかまりが受賞で解消されたと述べている。

偶然だった特殊効果との出会い

 中学、高校時代は、昆虫観察やモノづくりに加えて、テレビで映画をよく見るようになり、とくにSF映画への興味が強まっていく。特殊効果に目覚めたのは「スターウォーズ」(1970年)。このころまでに、自分でミニチュア模型をつくり、8ミリフィルムのカメラでコマ撮りして編集し作品を仕上げるようなこともするようになっていたが、同作品に接して、その道を深めるよう背中を押され、書店の外国雑誌のコーナーに通うようになる。

 そこで何気なく手にとった雑誌で見かけた特殊メイクの作品が人生を変えることになる。作品は当時の特殊メイクの第一人者、ディック・スミス氏が、映画「ダ―ティー・ハリー2」などで知られる俳優、ハル・ホルブルックをリンカーン大統領に変身させたもの。その質の高さ、精巧さに震えあがった辻さんは、雑誌に載っていたスミス氏の私書箱に手紙を出す。ダメ元の気持ちだったのだがなんと返事が届く。辻さんはそれからスミス氏との間で指導を請う文通を始める。自分で考えた材料で自分の顔をつくって、自分なりに考えた特殊メイクを施し、その写真をスミス氏に送ることを繰り返した。やり取りは7~8か月の間に12往復くらい続いたという。

 このスミス氏との出会いをきっかけに辻さんは、どんどん特殊効果の世界に導かれることになる。スミス氏が監修役を務め、日本で撮影された映画にスタッフとして参加するオファーを受け、その後、黒澤明監督の「八月の狂詩曲(ラプソディー)」に推薦を受け加わることになった。そうした縁からついには、ハリウッドでトップの特殊メイクアップスタジオから声がかかり、米国での足がかりをつかんだものだ。

「人生を切り開けるのは自分だけ」

 米国へ渡ってからの辻さんは、しばらくしてからは恩師であるスミス氏のマネをやめて独自の方法を開発。それが奏功して飛躍の幅を大きくできたという。スタジオでは当初、ほかのスタッフが定時で帰宅してしまうところを、現場に泊まり込むような格好で取り組み、妥協をしない仕事ぶりに徐々に周囲の理解を得られるようになったという

 辻さんが米国に渡ってからしばらくすると、ハリウッドではCG化の波が推し寄せアナログな特殊メイクが軽んじられるようになる。これまでの積み重ねを生かすため辻さんは転進を決意し現代アートに道を求め、軌道に乗ったところで舞い込んだのが、映画「ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男」の特殊メイク。もう戻ることはないと思っていた映画界だが、チャーチル役のゲイリー・オールドマンに懇願され、原点に戻るつもりで引き受け、それがアカデミー賞で報われたものだ。

 本書を通して、その底に流れるのは「人生を切り開けるのは自分だけ」というメッセージ。エピローグを「夢を追いかける人に覚えていてほしいこと」と題して、半生で得た教訓を具体的に示している。

 京都・錦市場出身の芸術家と言えば、近年大人気の伊藤若冲が思い浮かぶ。実家は錦市場の青果商だった。辻さんにも、ひょっとしたら若冲の奇想の伝統が息づいているのかもしれない。

  • 書名 顔に魅せられた人生
  • 監修・編集・著者名辻 一弘 著、福原 顕志 構成
  • 出版社名宝島社
  • 出版年月日2018年7月13日
  • 定価本体1300円+税
  • 判型・ページ数四六判・251ページ
  • ISBN9784800284761

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