馬鹿にされてしまいそうなエピソード。またある人には、心配されてしまいそうな思い出。
そういった経験はみんな、記憶のストックの奥で誰にも見つからないようにこっそり隠し持っているのかもしれません。
怪異収集家である中山市朗氏は、そんな誰彼と明かせない記憶にもスポットライトを当て、目に見える世界の法則だけでは解き明かせないものに挑みます。
妖怪なんているわけない、でしょうか。
ところで、妖怪とはなんなのでしょうか。
それに対する中山氏からのアンサーが本編トラック「そもそも妖怪とは何だ」に、収録されています。
<目次>
「茶袋」(10分)
私の取材に対して、「霊感も無いし幽霊を見たこともない」と言う人が、「そういえばこんな体験が」と語った山の中での話。別段怖くもなく、ちょっと不思議という印象の体験談だった。しかし、たまたま見た『妖怪辞典』に、それが載っていて...。
「ふらり火」(2分)
四国出身のあるOLさんが、「うちのおじいちゃんの若い頃の体験談として何度も聞かされました」という話。真夜中、帰り路を急ぐ祖父の前に現れたモノは、一抱えほどある火の玉だった。それを見た祖父は。
「オシロイババ」(5分)
都内のある公園。とある漫画家、テレビ・ディレクターたち4人が真夜中に遭遇した一人の老婆。その奇妙な出で立ち、様相は現代の人のそれではなく、古びた老婆であった。だがこれも後にその姿、特徴がある妖怪そのものであったことに気づく。
「真っ白立ち」(4分)
三重県での話。ある女性が早朝、駅まで父の車に乗せてもらった。駅前の交差点。そこに真っ白の人間が立っていた。いや、人間なのだろうか。それは立ったまま微動だにしない。 生きているという気配はある。父はと運転席を見ると...。
解説「この現代にも妖怪はいる」(8分)
日本では、古来より言い伝えられる幽霊や化け物の話は数多い。その中には河童や天狗、鬼といった妖怪に遭遇した、狐狸に化かされたという話もまた全国に存在する。しかしそれらは昔のことであり、この現代社会に現れることは考えられないと、大抵の人は思うであろう。しかし、私が蒐集した怪異談には、そういった妖怪遭遇談も多く含まれているのである。
「そもそも妖怪とは何だ」(30分)
妖怪と言う言葉が一般的に使われるようになったのは明治になってからのことである。江戸時代以前は別の言葉で顕されていた。我々がイメージする妖怪は、何が起因して想像させ、遭遇談が語られるようになったのか?妖怪と言うものを様々な視点から考察すれば、怪談実話としての妖怪談も、より面白く追体験できるのだ。
「大入道~たかたか坊主」(16分)
私が学生の頃に見た奇妙な影。それが、語られた同じような目撃談により、その土地と関係することに気づかされる。ちょっとした不可思議が、実は地元で言い伝えられる妖怪現象であるのかも知れない。
「生首」(31分)
生首が飛ぶ、あるいは舞う。そんなものを見たという人がいる。それは幽霊なのか妖怪の類なのだろうか?かくいう私も見たことがある。場所は大阪市南森町の市街地。そして、同じものを見たという証言が重なっていき...。
「本堂の灯(あかり)」(9分)
人間が死んで成仏できなかったら幽霊になる。そうではないものが死んで念を残せば妖怪になるのだろうか?そうではないもの、とは。これはある寺で起こった、人間ではないモノたちの霊が現れ、ある現象を起こしたという話である。
胸に引っかかる違和感。
どうしても解せない、あの頃のこと。
もしかして貴方のそんな記憶も収録のお話の中に、何かヒントが隠されているかもしれません。
時にコミカルに、引き込まれるようにあやしい、妖怪の世界。シリーズで刊行予定です。中山氏ファンのみならず聴いてみていただきたいです。
YouTubeで 市朗妖怪百科 第一集 をお試し聴きできます。
更なる詳細は でじじ からご確認いただけます。
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